鹿沼市

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栃木県鹿沼市

鹿沼市(かぬまし)は、関東の北部・栃木県の中部に位置する市である。

概要

サツキと鹿沼土の産地として有名。また減少傾向にあるが野州麻の産地として全国一の生産量を誇る。2006年1月1日に隣接する上都賀郡粟野町を編入し、人口約10万人の県6位の人口となった。

5月になると、鹿沼さつき祭りが開催される。期間中、市内中心部の黒川河川敷では花火大会が開催される。

10月の秋祭りも見所で、彫刻の入った屋台が市街を練り歩く。もともとは、雨乞いの儀式が始まりと言われている。その影響か、祭りの期間中は雨が降ることが多い。

落ち着いた市ではあるが、宇都宮市のベッドタウンということもあり、宇都宮市への通勤率は15.6%(平成22年国勢調査)。

板荷地区の黒川の上流、大芦地区の大芦川の上流等では、天然のヤマメ、イワナ、サンショウウオ、カジカなどが生息している。

近代に入り、地場産業として家具や製材などの木工業が盛んである。最近はアートの街として文化的な成熟が見られる。粟野町と合併したことで、そばの作付面積及び生産量が県内一位となり、「鹿沼そば」として売り出している。また「鹿沼牛」を扱う店舗が中心となり「焼肉の街 鹿沼」としてもPRしている。

2016年、市のイメージアップのためのシンボルとして苺を採用するため、いちご市宣言を行っている[1][2]。

歴史

古代・中世
山岳信仰の舞台として歴史に登場する。深山巴の宿(じんぜん・ともえ)は古代より修験者達が二荒山へ向かう宗教の道であったと同時に、足尾の鉱物を運ぶ金属の道でもあった。
1532年(天文元年)壬生氏により鹿沼城が築かれる。
1590年(天正18年)壬生義雄が小田原で陣没。壬生氏改易(5代続いた)でその居城である鹿沼城が廃城となる。
近世
城下町から宿場町として再び栄え始めた。
1610年(慶長15年)、阿部正次が鹿沼1万5,000石に封じられて鹿沼藩が成立する(1647年(正保4年)の朽木稙綱とする説もある)。
1647年(正保4年)、日光例幣使街道の制度が整備され、楡木宿[6]、奈佐原宿とともに鹿沼宿が設置される。
1724年(享保9年)、鹿沼藩主・内田正偏が改易されたために鹿沼藩は廃藩され、鹿沼は宿場町となる。
全国的に人口増加が停滞する近世後半において鹿沼宿の人口は約5割増加し、幕末時点で約3,500人を算した。その過半は、身分は農民だが実際には農間稼として商工業を生業とする者であった。農間稼ぎの収入は年貢の対象外であった。
一方で付近の村々は鹿沼宿への助郷役の負担にあえぎ、人口は減少の一途(間引きや鹿沼宿への流入)をたどった。
錯綜した領主配置;日光神領8村、幕府領10村、旗本領(31家)56村、大名領8村と錯綜しており、一村を複数の領主が支配する相給支配も多かった。
近代
「木工の町」として発展を始めた。
1890年(明治23年)に日本鉄道日光支線(現JR日光線)が開通。電力の全国的普及に伴う電柱(当時は木製)需要の急増や、関東大震災の復興需要の刺激を受けて、現在の鹿沼の主産業である木工業が発展し始める。(鹿沼の木工業は近代以降である。日光宮大工との関係云々は史料的な裏付けは無い)
1890年(明治23年)4月、下野麻紡績(株)(現帝国繊維(株)鹿沼工場)が開業(創設者は日光奈良部町出身の鈴木要三)、以来、近代鹿沼の重要産業である工業用麻生産を支えた。
1944年(昭和19年)7月、東京都牛込区津久戸小学校その他の集団疎開を受け入れる。
1945年(昭和20年)7月12日夜半から翌13日未明にかけて空襲。天候は小雨。小型焼夷弾約1500発。死者9名、256戸焼亡(泉町付近)。米軍に鹿沼空襲の計画は無かったが、同日には宇都宮空襲(133機)があり、その一部が鹿沼にも飛来したと思われる。ただし鹿沼空襲の戦果報告は米軍資料には無い。帰路の予定外の空襲と推測される。
1948年(昭和23年)10月1日 - 市旗・市章を制定する。[7][8]
1948年(昭和23年)10月10日 上都賀郡鹿沼町が市制施行し、初代鹿沼市となる。
1954年(昭和29年)10月1日 鹿沼市、上都賀郡菊沢村、東大芦村、北押原村、板荷村、西大芦村、加蘇村、北犬飼村が合併し、2代目鹿沼市を新設する。
1955年(昭和30年)7月28日 上都賀郡南摩村を編入する。
1955年(昭和30年)10月1日 上都賀郡南押原村を編入する。
1964年(昭和39年)木工団地造成。
1969年(昭和44年)鹿沼工業団地造成。
2001年(平成13年)10月31日 ごみ処理行政に絡み鹿沼市役所幹部が帰宅中に拉致され、群馬県の山中で暴力団員らに殺害される[9](鹿沼市職員殺害事件)。
2006年(平成18年)1月1日 上都賀郡粟野町を編入する。
2007年(平成19年)12月20日 市発注の公共事業のトラブル収拾のため、市長、市議会議長、鹿沼商工会議所会頭、元栃木県議会議長、住吉会系暴力団組長が会談する[10]。
2008年(平成20年)3月21日 市長と暴力団組長との会談について鹿沼市役所秘書室がマスコミに対し慎重な報道を要請する[10]。

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