銚子市

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千葉県銚子市

概要

銚子市(ちょうしし)は、関東地方の東部、千葉県の北東部にある市。全国屈指の漁港の町でもある。市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。利根川を挟んで対岸の茨城県神栖市への通勤率は10.7%(平成22年国勢調査)。市全域で銚子ジオパークをなす。

歴史

地名の由来

利根川河口と銚子漁港周辺の空中写真。入り口が狭く中に入るとより広い空間が広がる「銚子口」と呼ばれた地形。
1974年撮影の5枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、もともとは生薬を煎じるのに使われた土瓶ややかんの類(徳利ではない)。入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日「市制町村制」が施行されてからである。

銚子漁港
現在、銚子漁港は日本随一の水揚量を誇る漁港となっているが、嘗ては日本の三大海難所の一つに数えられた所であった。利根川の河口付近に千人塚(銚子市川口町2丁目)が築かれており、銚子近辺で起きた海難事故の犠牲者が祀られている。「千人塚」という名前の由来は、「1616年(慶長19年)10月25日銚子沖に吹いた突風によって、千人以上が亡くなったため」とも、「祀られる犠牲者が増え続けた結果、いつしか千人塚と呼ばれるようになった」とも伝わる[3]。昔の利根川河口付近は川幅が狭く、川底には大きな岩があり水深が浅く、干潮時と満潮時の潮の流れは急で、一年中風が強く吹き波が荒い場所であった。1910年(明治43年)3月12日には、漁船80隻、漁民千人以上が遭難した。当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていた。

何度も遭難が繰り返される中、銚子の町人や漁民らの間から河口を広げ水深を深くし、安心安全な漁港を造って欲しいという要望が上がり、銚子醤油株式会社(現:ヒゲタ醤油)社長の濱口吉兵衛[4]を千葉県水産株式会社取締役社長に抜擢し、安全な港に修築できるように、県や国に訴えて貰うことにする。以後、県や国が調査し、川底の爆破をし水深を深くすることを試みるものの、かえって流れが急になり、やむなく中止。また、救助砲(救助ロープを打ち出す砲台)を設置したものの、いざ使用してみると、船まで届かず全く意味を成さなかった。

以後、吉兵衛は悩み、漁民を危険な状況から救うため、また、国へこの実情を訴えるために国会議員になる決意をする。その後、国会議員となった吉兵衛は、千葉県議会議員であった小野田周斎と共に銚子漁港改修に全力を注ぎ、銚子港修築案がついに国会を通過、国からの援助を得ることが決まった。1925年(大正14年)12月修築工事が始められ、1932年(昭和7年)11月竣工した。

1937年(昭和12年)吉兵衛の功績を讃え、新生河岸公園に銅像が建立されたが、1943年(昭和18年)、戦時供出された。その後、1955年(昭和30年)銅像は再建された。

沿革
海上郡銚子町 C 銚子市
海上郡本銚子町
海上郡伊豆原村 B 海上郡西銚子町
海上郡豊浦村
海上郡高神村 D
海上郡海上村
海上郡船木村 E
海上郡椎芝村 A 海上郡椎柴村
香取郡豊里村 F
海上郡豊岡村 G
A 1891年(明治24年)1月26日
B 1891年(明治24年)8月14日
C 1933年(昭和8年)2月11日
D 1937年(昭和12年)2月11日
E 1954年(昭和29年)4月1日
F 1955年(昭和30年)2月11日
G 1956年(昭和31年)4月10日
市制施行以前
1889年(明治22年)4月1日 - 新生村、荒野村、今宮村が合併し町制施行。海上郡銚子町が誕生。
1897年(明治30年)6月1日 - 銚子駅が開業。
1923年(大正12年)7月5日 - 銚子鉄道線(現在の銚子電気鉄道線)が開業。
市制施行後
1933年(昭和8年)
2月11日 - 海上郡銚子町、本銚子町、西銚子町、豊浦村が合併し市制施行。銚子市が誕生する[5](千葉市に次いで県内2番目の市制施行)。
3月11日 - 国鉄佐松線全線開通する。
1937年(昭和12年)
2月11日 - 海上郡高神村、海上村を編入。
4月1日 銚子市立銚子中学校(現・銚子市立銚子高等学校)開校。
1943年(昭和18年)4月1日 - 千葉県立銚子水産学校(後・千葉県立銚子水産高等学校。統合により廃校)開校。
1945年(昭和20年)
3月9日 - 3月10日 - B29爆撃機による爆撃を受ける。
7月19日 - 7月20日 - B29爆撃機、約150機による銚子から鹿島灘沿岸を爆撃を受ける(銚子空襲)。
8月1日 - B29爆撃機による爆撃を受ける。
1946年(昭和21年)6月6日 - 昭和天皇が戦災地視察に行幸。
1954年(昭和29年)4月1日 - 海上郡船木村、椎柴村を編入。
1953年(昭和28年)5月18日 - 国道124号と国道126号が制定。
1955年(昭和30年)2月11日
旭市大字イ字椎柴野を編入。
香取郡豊里村を編入。
1956年(昭和31年)4月10日 - 海上郡豊岡村を編入。
1957年(昭和32年)3月31日 - 一部の地域を海上郡飯岡町(現旭市)に編入。
1962年(昭和37年)12月11日 - 銚子大橋が供用開始。
1965年(昭和40年) - 国道356号が制定。
2000年(平成12年)3月18日 - 利根かもめ大橋が供用開始。
2012年(平成14年)9月24日 - 市全域が銚子ジオパークとして認定される[6]。

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