杉並区

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東京都杉並区

杉並区(すぎなみく)は、東京都の特別区のひとつで、23区西部に区分される。郵便番号(上3桁)166・167・168。

概要

元来この地域は武蔵国多摩郡であり、江戸時代から明治・大正時代も多摩地域に属していた。地理的に東京都区部の扱いになったのは、1929年(昭和4年)の世界恐慌後に東京市に編入されてからである。

旧東多摩郡西半にあたり、城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目である。自然が豊富な閑静な住宅地域として発展してきた。

地形的には武蔵野台地上にあり、全体的になだらかな高台地域。特に高台に沿って、古来より甲州街道、青梅街道が南北の区境近傍に東西に通っている。 神田川・善福寺川沿いの低地は、近世には水田耕作に利用されていたが、勾配のきつい坂はないため、広範囲に洪水被害が及ぶことが危惧されている[1]。

大宮一丁目にある大宮八幡近辺が東京都全体の人口重心となっている。

歴史

近世以前
古来 武蔵国に在り、現在の杉並区に当たる区域は多磨郡内の一部として属していた。
近世
江戸時代は武蔵国の一部であり、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。
甲州街道の第2宿高井戸宿が設けられた。
青梅街道は、当区内に宿駅はなかったが、妙法寺の門前は立場として江戸時代後期ににぎわい、落語「堀之内」の舞台となった。
甲州街道に沿って玉川上水が設置された。
近・現代
明治大学和泉校舎の一帯は、幕末から長く火薬庫があったところで、江戸幕府の和泉新田御焔硝蔵、後の陸軍省和泉新田火薬庫である。
明治・大正時代も東京市15区に含まれない地域であった。
昭和時代の世界恐慌後に多摩地域から東京市に編入が完了した。
区名の由来は、江戸時代の初期、成宗・田端両村の領主が青梅街道沿いに植えた杉並木があったことに始まる。この杉並木は明治前になくなった。その後「杉並」の名は村名として採用され、町名、さらに区名となって現在に至る。
1889年(明治22年)の市制・町村制施行当時からの自治体名でありながら、同名の鉄道駅が存在せず、また同名の住所もない。鉄道のない檜原村および島嶼部を除けば、都内ではほかに武蔵野市があるのみである。
関東大震災後に、多くの文化人や学者が都心や下町から移り住んだ地でもある。
区の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、多摩郡のうち後の東多摩郡域(現杉並区・中野区にあたる地域)の支配は以下の通り。幕府領は代官・松村忠四郎支配所が管轄。●は村内に寺社領が存在。(32村)
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 12村 ●中野村、高円寺村、馬橋村、久我山村、上高井戸村、下高井戸村、中高井戸村、田端村、成宗村、本郷新田、和泉新田(和泉村のうち)、大宮前新田、松庵村
旗本領 7村 ●上鷺之宮村、和泉村、上高田村、片山村、●和田村、●上井草村、●下井草村
幕府領、旗本領 8村 江古田村、雑色村、●永福寺村、●上荻窪村、新井村、下鷺之宮村、上沼袋村、下沼袋村
鉄砲玉薬組同心給地 1村 ●本郷村
その他 寺社領 4村 下荻窪村、天沼村、阿佐ヶ谷村、堀之内村
1868年(慶応4年)
7月10日(8月27日) - 旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。現杉並区にあたる地域を管轄。
8月8日(9月23日) - 松村長為知県事が古賀定雄(一平)に交代。
1869年
明治2年2月9日(3月21日) - 古賀知県事の管轄区域に品川県を設置、現杉並区にあたる地域は品川県に属す。
1870年
明治2年12月18日(1月19日) - 寄場組合を廃止し24の番組を設置。現杉並区・中野区にあたる地域は6・18・21・22・23番組のそれぞれ一部に相当[3]。
1871年(明治4年)
11月14日(1871年12月25日) - 品川県を廃止し東京府(第2次)が発足[4]。
1872年
明治4年12月5日(1月14日) - 現杉並区にあたる地域の東京府への編入成る。
明治5年1月22日(3月1日) - 現杉並区にあたる地域が神奈川県に移管される[5]。後の東多摩郡(現杉並区・中野区)に相当する地域32村が東京府に戻る運動を展開。
8月19日(9月21日) - 現杉並区域20村(高円寺村・馬橋村・永福寺村・上荻窪村・下荻窪村・久我山村・上高井戸村・下高井戸村・中高井戸村・田端村・成宗村・和泉村・大宮前新田・松庵村・和田村・上井草村・下井草村・天沼村・阿佐ヶ谷村・堀之内村)が東京府の管轄に戻される[6]。9月10日(10月12日)に編入成る。
1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法により多摩郡は4郡に分割され、20村は東多摩郡に属する。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、東多摩郡杉並村・和田堀内村・井荻村・高井戸村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 東多摩郡が南豊島郡と合併し豊多摩郡となる。
1924年(大正13年)6月1日 - 杉並村が町制施行して杉並町となる。
1926年(大正15年)7月1日 - 和田堀内村、井荻村、高井戸村がそれぞれ町制施行し、和田堀町、井荻町、高井戸町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市(15区)と豊多摩郡を含む周辺5郡が合併して東京市域が拡大、35区が成立する。この際、杉並町・和田堀町・井荻町・高井戸町が東京市に編入、4町の区域をもって東京市杉並区が発足[7]。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都が成立し、東京市は廃止。東京都制施行により東京都杉並区となる。
1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法施行により杉並区は特別区となる。
1960年(昭和35年)3月26日 - 中野区との境界を変更する[8]。
1981年(昭和56年)4月1日 - 防災行政無線運用開始。

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