東京都足立区
足立区(あだちく)は、東京都の特別区のひとつで、23区の北部に区分され、23区では最北端に位置する。
郵便番号(上3桁)120・121・123
概要
東京23区の北東部に位置し、隅田川と荒川に挟まれた地区と、面積の大半を占める荒川以北の地区とに分かれている。
武蔵国の足立郡が、1878年(明治11年)に南北に分かれた南足立郡の10ヶ町村が前身。 「足立」の由来は、もと万葉仮名で「阿太知(平仮名の元となった漢字をあてたもの)」だった[1]とみられるほか、「葦立ち(アシダチ)(荒川河川敷に葦(アシ)が立ち並んで生えていたことから)」の転じたもの。なお、東京市による最初の区名原案は「千住区」(せんじゅく)だった[2](奥の細道の松尾芭蕉出立の地だったことから)。
南東の荒川南岸に位置する千住地区は、江戸時代には日光街道と奥州街道の第1宿「千住宿」であり、現在はターミナル駅である北千住駅を擁する区内随一の繁華街となった。
歴史
年表
先史時代
縄文時代は中頃まで海(奥東京湾[4])の底にあった[5](縄文海進)。
古墳時代に入って人が移り住むようになった。舎人遺跡からは当時の井戸が発見されている[5]。
古代
当時の毛長川は大河であり、開発はこの川の畔から始まった[5]。
律令制下においては武蔵国足立郡の南東端の地域だった。
天長3年(826年)西新井大師が建立される。
中世
室町時代の中期から戦国時代にかけての中世期には千葉氏の領国であった。戦国の動乱で領国の拡大化が進んだ戦国時代の後期には、千葉氏を従属下においた小田原北条氏(後北条氏)の領国となった。
近世
天領・寛永寺領に配さる。
石高は約2万石。
千住宿は江戸の北端であり、また日光街道の宿場として栄えた。
千住青物市場は江戸三大市場の一つとして栄えた。
文禄3年(1594年)千住大橋が架橋される。
近代
明治元年(1868年) - 幕府の代官職を引き継ぐ形で、新政府により武蔵知県事が置かれる。
明治2年(1869年) - 小菅県(現在の足立区、葛飾区、江戸川区及び埼玉県と千葉県の一部を含む)設置。
明治4年(1871年) - 廃藩置県により小菅県廃止。一部を除き東京府に編入される。
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により、それまでの足立郡の東京府部分に南足立郡成立。同郡の範囲は現在の足立区とほぼ同等。
1893年(明治26年)2月7日 - 千住馬車鉄道 千住茶釜橋〜越谷間が 開業する。
1896年(明治29年)12月25日 - 日本鉄道土浦線(現常磐線)が開業する。
1897年(明治30年)8月 - 千住馬車鉄道 千住茶釜橋〜越谷間が廃業する。
1898年(明治31年)11月3日 - 草加馬車鉄道 千住茶釜橋〜越谷間 が開業する。
1899年(明治32年)8月27日 - 東武鉄道(北千住 - 久喜)が開業する。(西新井駅開業)
1900年(明治33年)
2月2日 - 草加馬車鉄道 千住茶釜橋〜越谷間が廃業する。
3月21日 - 東武鉄道竹ノ塚駅 が開業する。
1902年(明治35年)4月1日 - 東武鉄道(北千住 - 吾妻橋)が開業する。(堀切駅開業)
関東大震災後、東京都市計画道路網の一環として、環状7号線・放射11号線(尾久橋通り)・同12号線(現日光街道)が整備される。
1924年(大正13年)
10月1日 - 東武鉄道千住駅、小菅駅、五反野駅、梅島駅が開業する。
10月12日 - 荒川放水路注水開始。
1925年(大正14年)1月 - 千住火力発電所(お化け煙突)設置。
1928年(昭和3年)7月24日 - 東京市電千住大橋-千住四丁目間が開業する。
1930年(昭和5年) - 荒川放水路が竣工。
1931年(昭和6年)
12月19日 - 京成電鉄開業、京成関屋駅・千住大橋駅が開業する。
12月20日 - 東武鉄道西板線(西新井 - 大師前)が開業する。
1932年(昭和7年)
9月1日 - 東武鉄道牛田駅が開業する。
10月1日 - 東京市に編入され足立区となる。
1935年(昭和10年)9月1日 - 東武鉄道千住線(中千住 - 千住)が開業する。
1943年(昭和18年)
4月1日 - 常磐線綾瀬駅が開業する。
7月1日 - 東京都の成立とともに東京都足立区へ。
1945年(昭和20年)
5月20日 - 東武鉄道西板線(西新井 - 大師前)営業休止。
5月21日 - 東武鉄道大師線(西新井 - 大師前)が開業する。
現代
1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法により特別区となる。
1953年(昭和28年) - 東武鉄道中千住駅が廃止される。
1962年(昭和37年)5月31日 - 営団日比谷線(現東京地下鉄)(北千住 - 南千住間)開業、東武伊勢崎線への相互直通運転を開始する。
1964年(昭和39年)2月 - お化け煙突が解体される。
1968年(昭和43年)2月25日 - 都電三ノ輪橋-千住四丁目間が廃止される。
1969年(昭和44年)12月20日 - 営団千代田線(北千住 - 大手町)が開業する。
1969年(昭和44年) - 環状7号線のうち区内部分が全線開通する。
1971年(昭和46年)4月20日 - 営団千代田線(北千住 - 綾瀬)が開業する。
1979年(昭和54年)12月20日 - 営団千代田線(綾瀬 - 北綾瀬)が開業する。
1982年(昭和57年)3月 - 首都高速道路の区内初の区間が開通する。(向島-千住新橋間)
1987年(昭和62年)5月1日 - 東武鉄道千住線(千住分岐点(旧中千住駅) - 千住)が廃止される。
2005年(平成17年)8月24日 - 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(秋葉原 - つくば)開業、青井駅・六町駅が開業する。
2008年(平成20年)3月30日 - 東京都交通局日暮里・舎人ライナーが開業する。
区の沿革
明治22年以前 明治22年5月1日 明治22年 - 昭和3年 昭和4年 - 昭和17年 昭和18年 - 現在
足立郡千住宿 南足立郡千住町 南足立郡千住町 東京市足立区 東京都足立区
足立郡千住宿掃部宿
足立郡西新井村 南足立郡西新井村 南足立郡西新井町
足立郡興野村
足立郡本木村
足立郡梅田村 南足立郡梅島村 南足立郡梅島町
足立郡島根村
足立郡栗原村
足立郡小右衛門新田
足立郡鹿浜村 南足立郡江北村
足立郡鹿浜新田村
足立郡加賀皿沼村
足立郡高野村
足立郡沼田村
足立郡谷在家村
足立郡宮城村
足立郡小台村
足立郡堀之内村
足立郡舎人村 南足立郡舎人村
足立郡古千谷村
足立郡入谷村
足立郡竹塚村 南足立郡渕江村 南足立郡渕江村
足立郡六月村
足立郡保木間村
足立郡伊興村 南足立郡伊興村
足立郡大谷田村 南足立郡東渕江村
足立郡佐野新田
足立郡長右衛門新田
足立郡普賢寺村
足立郡北三谷村
足立郡蒲原村
足立郡弥五郎新田 南足立郡綾瀬村
足立郡次郎左衛門新田
足立郡五兵衛新田
足立郡伊藤谷村
足立郡花又村 南足立郡花畑村
足立郡久左衞門新田
足立郡六ツ木村
足立郡嘉兵衛新田
足立郡久右衛門新田
足立郡辰沼新田
足立郡内匠新田
足立郡長左衛門新田