東京都練馬区
練馬区(ねりまく)は、東京都の特別区の一つで、23区西部に区分され、23区では最西端に位置する
概要
東京23区の中では最も新しく誕生した区で、板橋区の一部だった旧北豊島郡練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の区域が1947年8月1日に分離して発足した。当時、広大な板橋区の区役所までの経路が遠く、著しく不便であったことが分離の要因とされている。板橋区は練馬、石神井に行政派出所(後に、支所)を設けたが、行政サービスは極めて限られていたため、西武池袋線沿線を中心として生活する住民の要望にこたえる形で分離された[1]。
練馬区は緑の多い閑静な住宅街であり、最低居住面積水準未満の世帯率は東京23区で最も低い。練馬区民の男性の平均寿命は81.2歳で全国で第5位、東京23区で第1位である[2]。また刑法犯認知件数は、人口が60万人以上のほぼ同規模の特別区[3]の中で大田区に次いで少ない[4]。人口は約70万人で、23区中世田谷区に次いで多い。近年は副都心線や大江戸線などの開通に伴って、マンション建設ラッシュに沸いている。
東映東京撮影所に付随した東映動画が存在したことから、日本のカラー長編アニメ(又は民間アニメ)の発祥地[5]、日本初の30分連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(当時は「テレビまんが」と称された)を製作した、日本のアニメ産業の礎となった地である[6]。日本一のアニメ関連企業の集積地[7]でもある。
歴史
沿革
1947年(昭和22年) - 板橋区から分区し、23番目の区として誕生
1949年(昭和24年) - 練馬区役所が現在地に移転
1951年(昭和26年) - 自衛隊練馬駐屯地ができる。
1953年(昭和28年) - 板橋区との境界を変更する[10]。
1957年(昭和32年) - 一部を板橋区へ編入する[11]。
1961年(昭和36年) - 白子川改修に伴い、大和町との境界を変更する[12]。
1973年(昭和48年) - アメリカ軍からグラントハイツ(光が丘)が返還される。
1983年(昭和58年) - 非核都市練馬区宣言
1998年(平成10年) - 交通安全都市練馬区宣言
2001年(平成13年) - 健康都市練馬区宣言
2006年(平成18年) - 環境都市練馬区宣言
2007年(平成19年) - 人口70万人に到達
「練馬」の由来
練馬区のウェブサイトには以下の説が掲載されている。
関東ローム層の赤土をねったところを「ねり場」といった。
石神井川流域の低地の奥まったところに「沼」=「根沼」が多かった。
奈良時代、武蔵国にあった「のりぬま(乗潴)」という宿駅が「ねりま」に転訛した(乗潴は、白山神社付近であったとされる。ただし、乗潴をあまぬまと読み、現在の杉並区天沼に比定する説もある)。
中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がいた(馬を馴らすことを「ねる」といった。すなわち「練り馬」)。
他にも諸説存在する。