茨城県神栖市
神栖市(かみすし)は、茨城県の最東南端に位置する市である。
概要
隣接する鹿嶋市とともに鹿島臨海工業地帯を形成する。鹿嶋市・潮来市・鉾田市・行方市とともにJリーグ鹿島アントラーズのホームタウンである。
以前は農業と漁業が中心の貧しい地域であったが、1960年に始まった鹿島開発によって、世界的にも珍しい掘込式人工港「鹿島港」を核に、鉄鋼・石油を中心とした重化学コンビナートの街として発展。工場立地企業からの税収により財政は豊かで、福祉が充実しており県外からの転入者も多い。このため、鹿嶋市との広域市町村合併構想は、自主財源の確保の観点から反対理由の一つであった。
波崎区域は太平洋に面し夏涼しく冬温暖な気候であることからアウトドアスポーツを観光の中心に据えており、海水浴(波崎海水浴場は環境省の「快水浴場百選」に選定されている)、マリンスポーツからサッカー、テニス、トライアスロンにいたるまで幅広いスポーツが楽しめる。特に民間のサッカーグラウンドは70面以上有しており、サッカー合宿のメッカとして全国的に有名である。
2003年には、有機ヒ素化合物で汚染された井戸水により、住民がヒ素中毒を起こした事件が各メディアで報道され有名となった。環境省は2007年にこの原因は、当初言われていた旧日本軍の化学兵器説ではなく、近年に不法投棄された産業廃棄物に含まれた有機ヒ素化合物による可能性が高いと結論づけた。なお、住民は2006年7月24日に公害等調整委員会に対して国・県の責任を認める裁定を下すよう申請を行った。同委員会は2012年5月11日に国に対する責任については棄却したが、県に対しては地下水汚染が判明してから健康被害が生じるまで住民周知等の措置を取らなかったことの責任を認める裁定を下した。
歴史
年表
市制施行以前
1953年(昭和28年)5月18日 - 国道124号が制定。
1955年(昭和30年)3月1日 - 息栖村、軽野村が合併、神之池と息栖神社から新村名を「神栖村」とする。
1963年(昭和38年)5月 - 常陸川水門が竣工。
1970年(昭和45年)1月1日 - 神栖村が町制施行改称し神栖町となる。
1970年(昭和45年)7月21日 - 鹿島臨港線(貨物線)が開業。
1971年(昭和46年)
1月 - 利根川河口堰が竣工。
3月 - 鹿島火力発電所の1号機が運転開始。
1981年(昭和56年)5月26日 - 神栖町文化センター(現・神栖市文化センター)が開館。
1985年(昭和60年)8月1日 - 新町名として知手中央7丁目 - 10丁目(旧・知手、横瀬、奥野谷の各一部)を設定[1]。
1993年(平成5年) - 土地区画整理事業に伴い、住居表示区域に深芝南1丁目 - 3丁目(旧・大字深芝)を設定[2]。
市制施行以後
2005年(平成17年)
8月1日 - 神栖町が鹿島郡波崎町を編入、同日、市制施行し神栖市が発足。
11月6日 - 神栖市長選で新人の保立一男が前職の岡野敬四郎を破って当選。