茨城県牛久市
牛久市(うしくし)は、茨城県南部に位置する市。旧稲敷郡。
概要
東京都心からおよそ50キロ程度の位置にあり、牛久駅を中心とした地域は東京のベッドタウンとして宅地開発が進み、人口が増加した。人口約8万人。市東部には仏像の牛久大仏がある。
歴史
地名の由来
牛久の地名の由来には諸説あるが、古語に由来するものと考えられる。ただし、龍ケ崎市の金龍寺に「怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをした。そこから『牛を沼が食った』『牛食う沼』と変わり、その沼が牛久沼と呼ばれるようになった」という昔話が伝わっており、沼の名の由来・地名の由来ともに、この伝説がまるで真説のように流布している。なお、牛久沼は現在の龍ケ崎市に位置する。
「潮来」(うしおく)が「うしく」になったとする説、鵜宿あるいは卯宿(うしゅく)が転じたとする説などもあるが、上記の金龍寺の伝説が一般に支持されている。
沿革
1804年 - 牛久助郷一揆
1878年(明治11年) - 津田出が女化に日本初となる「洋式」大農場を開設
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され河内郡牛久村設置
1896年(明治29年)3月29日 - 河内郡は信太郡と合併、稲敷郡となる
1896年(明治29年)12月25日 - 牛久駅が開業
1903年(明治36年)9月 - 神谷傳兵衛がシャトーカミヤでワインの生産を開始
1954年(昭和29年)1月1日 - 町制施行、牛久町となる
1954年(昭和29年)4月1日 - 岡田村と合併、新町名は牛久町とする
1955年(昭和30年)2月10日 - 稲敷郡奥野村を編入
1960年(昭和35年)7月1日 - 現在の市章となる町章を制定する。[1]
1986年(昭和61年)6月1日 - 市制施行、牛久市となる
1994年(平成6年)3月31日 - 防災行政無線運用開始。
1995年(平成7年)10月12日 - 新たな住居表示町名として、中央1丁目〜5丁目(旧田宮町・柏田町・牛久町・南1丁目の各一部)を設定[2]。
1998年(平成10年)3月14日 - ひたち野うしく駅が開業
2000年(平成12年)12月4日 - 新たな住居表示町名として、田宮2丁目〜3丁目(旧田宮町・柏田町の各一部)を設定[3]。
2002年(平成14年)4月1日 - 防災行政無線のチャイムの音色が変更する。
2015年(平成27年)2月21日 - 防災行政無線放送等変更。
地価変動
平成20年度の住宅地の地価は-1.9%と東京圏で4番目の下落率、商業地の地価は-1.8%と東京圏で5番目の下落率を示している。