埼玉県毛呂山町
毛呂山町(もろやままち)は、埼玉県南西部にある人口約3万5千人の町。
概要
西部は自然が残る外秩父山地、北東には岩殿丘陵がかすめ、東部は水田が広がる低地、中央部をJR八高線と東武越生線が走り、沿線を中心に宅地化が進んでいる。果樹園が多く、特にユズの産地として知られている。1965年に同町の毛呂病院(埼玉医科大学の前身)がチベット難民の学生5人を受け入れたことをきっかけにチベットとの交流が深い[1]。
歴史
縄文中期頃にはすでに人々が生活をしていた痕跡があり、これまでに約120ヶ所の遺跡が確認されている。
1871年12月25日(明治4年11月14日) - 廃藩置県による第1次府県統合が行われ、現在の町域は入間県の管轄となる。
1873年(明治6年)6月 - 入間県と群馬県が統合され、熊谷県の管轄となる。
1875年(明治8年) - 入間郡堀込村・馬場村・平山村が合併して岩井村となり、現在の町域に川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村・毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村・滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村の19村が成立する。
1876年(明治9年)8月 - 熊谷県が廃止され、埼玉県の管轄になる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、川角村・西戸村・市場村・箕和田村・西大久保村・大類村・苦林村・下川原村が合併し、現在の町域の東部が川角村となる。毛呂本郷・長瀬村・小田谷村・前久保村・岩井村が合併し、現在の町域の中部が毛呂村となる。滝野入村・権現堂村・阿諏訪村・大谷木村・宿谷村・葛貫村が合併し、現在の町域の西部が滝野入村となる。
1891年(明治24年)8月20日 - 滝野入村が名称を変更し、山根村となる。
1939年(昭和14年)4月1日 - 毛呂村と山根村が合併し、毛呂山町となる。
1955年(昭和30年)4月1日 - 川角村と合併し、毛呂山町となる。
1957年(昭和32年)8月1日 - 入間郡坂戸町の一部を編入する。
1962年(昭和37年) - 武州長瀬駅周辺に団地開発がはじまる。
1968年(昭和43年) - 毛呂山町公民館を建設する。
1978年(昭和53年) - 埼玉県立毛呂山高等学校が開校する。
1986年(昭和61年)4月1日 - 防災行政無線運用開始。
1987年(昭和62年) - 新図書館が開館する。
1989年(平成元年) - スポーツ健康都市を宣言する。
1990年(平成2年) - 毛呂山町民憲章を制定する。
1993年(平成5年) - 歴史民俗資料館が開館する。
1999年(平成11年) - ゆずの里オートキャンプ場がオープンする。
2004年(平成16年) - 町界町名地番整理事業が開始される。
2008年(平成20年) - 埼玉県立毛呂山高等学校が廃校となる。