千葉県東金市
概要
東金市(とうがねし)は、九十九里平野にある、千葉県の市である。人口は約6万1千人。千葉市への通勤率は13.7%(平成22年国勢調査)。
歴史
地名の由来
東金の由来は鴇が根に由来するといわれる。当地にある西福寺境内の山嶺が鴇(とき)の頭に似ていることから鴇ヶ峯と称されトウガネに転訛し東金と言うようになったと伝えられる。
城の名称も『東金町誌』によると「東金城は往古上総介の属館なりしが後年千葉氏の支城となりて鴇ヶ嶺城と云う。後東鐘城と唱へまた鴇ヶ根城と号す。大永元年(1521)東金城と改称せり」とある。
東金では 明細帳[1]に「村名之儀は往古は辺田方と唱申候処、慶長十九甲寅御成之節より東金町と唱申候」とあり、慶長19年(1614年)徳川家康がはじめて同地を訪れた折から東金町と称したという [2]。
2015年現在、同市東岩崎に旧名に由来するとみられる鴇嶺(ときがね)小学校がある[3]。
年表
古墳時代後期(6世紀)末、玉崎神社裏横穴群が作られる。
807年(大同2年)伝教大師最澄によって、背後の鴇ヶ嶺山頂の山王大権現(現:古山王神社)とともに一宇を改修し天台宗の寺院として最福寺が創建される。
1249年(建長元年)北条赤橋流初代の北条長時が總州(上總・下總)の守護に任ぜられ、久我台城を築城した。
1280年(弘安3年)北条久時が總州守護に任ぜられた際に赤橋北条氏の總州に於ける氏寺として、願成就寺が創建される。開基は北条久時。
江戸時代初期、徳川家康、徳川秀忠が鷹狩に訪れる。その為東金御成街道、東金御殿などを整備。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により東金町、台方村、田間村、北之幸谷村、川場村、堀上村、押堀村、大豆谷村が合併し、山辺郡東金町(初代)が成立。
1897年(明治30年)4月1日 - 山辺郡が武射郡と統合して山武郡となる。
1953年(昭和28年)4月1日 - 丘山村、正気村、豊成村、公平村の一部(道庭、家之子、求名、松之郷)、大和村の一部(田中、福俵、山口の一部)と合併し、改めて東金町(2代目)が発足。
1954年(昭和29年)4月1日 - 東金町が源村の一部(上布田、極楽寺、三ヶ尻、酒蔵、滝沢)、福岡村の一部(下谷、上谷、東中島、一之袋、二之袋、大沼田、小沼田、砂古瀬、依古島新田、西中)を編入のうえ市制を施行し、東金市となる。
1993年(平成5年)10月1日 - 山武郡大網白里町(現・大網白里市)と境界変更。