東京都東久留米市
概要
東久留米市(ひがしくるめし)は、東京都の多摩地域東部にある市である。
歴史
年表
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里・柳窪・柳窪新田・栗原新田の10村、田無町の飛地を編入して神奈川県北多摩郡久留米村が誕生。
1893年 - 三多摩が神奈川県から東京府に移管。
1915年 - 4月15日、武蔵野鉄道(池袋〜飯能・現在の西武池袋線池袋〜吾野)開通・東久留米駅開設。
1956年 - 8月1日、久留米町として町制施行。北多摩郡の中では最も遅い町制施行であった[1]。
昭和30年代後半から、東久留米、滝山、ひばりが丘団地などの大型団地次々誕生、人口急増(1960年(昭和35年)からの10年間で4.1倍)。一時期人口78,000人の日本一人口の多い町となる。
1970年10月1日 - 市制施行と同時に自治体名を改称し、東久留米市となる。
1983年 - 防災行政無線が整備される。
1984年4月1日 - 防災行政無線が開局される。
時系列地形図
「歴史的農業環境閲覧システム」による「迅速測図」
明治初期から中期にかけての当時の地図
「今昔マップ on the web」による時系列地形図
1896~1909年 当時の地図
1917~1924年 当時の地図
1927~1939年 当時の地図
1944~1954年 当時の地図
1965~1968年 当時の地図
1975~1978年 当時の地図
1983~1987年 当時の地図
1992~1995年 当時の地図
1998~2005年 当時の地図
市名の由来
市制施行時、既に福岡県久留米市が存在したため、行政的な混同を避け、また駅名の東久留米が住民に親しまれていたため「東久留米市」とした[2]。同様のケースとして、埼玉県上福岡市および上福岡駅(福岡県福岡市との同名回避)、北海道北広島市および北広島駅(広島市との同名回避)がある。
それ以前の久留米、「くるめ」と読み書く地名となった由来や説はいくつかあるが、具体的根拠を一定以上のレベルで証明出来る有力説はなく、今なお研究議論、事実解明作業が続けられている。地名由来と思われる話や、考えられている[誰によって?]・あるいは言い伝えられている[誰によって?]説として、いくつか列挙する。
古代の車持部の住地からきた(群馬県の由来・「ぐんま」という地名は、車持部の居住地から来たとする説がある)[要出典]
くるみの方言から起こった[要出典]
小さな平地という意味がある[要出典]
市内を流れる黒目川の「クロメ」が転じて「クルメ」という地名になった[要出典]
元々は、黒目川は「クルメ」とも呼ばれており、後年の人々が当て字として久留米・久留目・来梅・黒目などの漢字表記を用いたのが広まり、「久留米」の名が認知された[要出典]