千葉県旭市
概要
旭市(あさひし)は、千葉県の北東部にある市。人口は約7万人。九十九里浜の最北端に面しており、夏季には海水浴客で賑わう。県内第1位の農畜産物産出量を誇る。
歴史
古代、現在の旭市周辺には椿海と呼ばれる湖が広がっていた。江戸時代になり、椿海を干拓するため、新川を掘削して湖底を干潟とした。 幕末には、農村指導の先駆者・大原幽学が長部村を訪れ、農村を再興させた。同じく幕末に、国学者の宮負定賢・宮負定雄父子も村の和合や農業改良に努めた。一方、九十九里沖の豊かな漁場を求めて関西の漁民がやって来るようになり、飯岡助五郎は、イワシ漁を中心とした漁業の発展に尽力した。 明治に入り、政府の「畑作奨励策」の下、鎌数村の金谷総蔵が落花生栽培を普及させ、総武鉄道が開通して大量輸送が可能になると、落花生の加工工場が 数多く造られた。また、昭和初期からスイカ、カボチャ、甘藷などの生産が盛んになり、特に甘藷栽培は穴澤松五郎の功績で飛躍的に発展した。[1]。
年表
1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い海上郡網戸村・成田村・十日市場村と匝瑳郡太田村が合併、海上郡旭町が発足。
1911年(明治44年) - 旭農業高等学校開校。
1951年(昭和26年) - 大利根用水完工。
1953年(昭和28年) - 旭中央病院開設。
1954年(昭和29年)7月1日 - 市制施行、旭市となる。
1963年(昭和38年) - 東総工業高等学校開校。
1964年(昭和39年) - 旭中央病院付属看護専門学校開設。
2005年(平成17年)7月1日 - (旧)旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町・飯岡町が対等合併し新しい旭市となった。旧市の人口は約4万1000人、面積は50.61km2。
2011年(平成23年)3月11日 - 沿岸部に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による県内最大7.6mの津波が襲い、飯岡地区を中心に沿岸付近の民家が全壊336棟、半壊945棟、県内最多14人の死者、2名の行方不明者を出した[2]。のちに天皇・皇后両陛下が飯岡地区を訪問した。
旭市の由来
「旭」という市名(最初は町名)は、一説には「旭将軍」と呼ばれた木曾義仲の末裔とされ、この地で没した木曾義昌を詠んだ「信濃より いつる旭をしたひきて 東の国にあととどめけむ」から採られたとされる。
この歌は、弘化元年(1844年)木曾氏末裔を称する芦原検校(木曾義長)が、東漸寺において営んだ「木曾義昌公250回忌」において京都の国学者、野々口隆正が詠んだ追悼歌で、この時に寄せられた追悼歌400首を収めたのが、市の指定文化財ともなっている「慕香和歌集」である。