埼玉県戸田市
概要
戸田市(とだし)は、埼玉県南部に位置する人口約14万人の市。人口は深谷市に次ぐ県内15位。荒川を境に東京都と接する。
歴史
江戸時代には御鷹場として栄え、荒川の「戸田の渡し」は全国的にも有名である。平成の大合併の際は川口市との合併が検討されたが、生活圏が異なり(生活圏はさいたま市寄り)、人口の増加を勘案すると単独で20万人(中核市指定要件)に到達することも可能であることから、当分単独市のままでいることが決まった。かつて浦和市(現さいたま市)との合併構想もあり、市北部の一部が浦和市に編入している。
1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、新曽村・上戸田村・下戸田村が合併し、北足立郡戸田村が成立する。
1941年(昭和16年)6月1日、町制施行により、戸田町となる。
1950年(昭和25年)4月1日、東京都板橋区に荒川右岸の大字上戸田の一部(約 0.2 km2)が移譲され、同区舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。
1957年(昭和32年)7月20日、北足立郡美笹村と合併し、新たに戸田町となる。
1959年(昭和34年)4月1日、旧美笹村北部の松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離し、浦和市(現:さいたま市南区)に編入される。
1966年(昭和41年)10月1日、市制施行により、戸田市となる。
1985年(昭和60年)に埼京線が開通、交通の便が良くなったため、中高層マンションの建設が相次いだ。20メートル以上の建造物が2008年現在、約260となっている[1]。
2003年(平成15年) - 川口市などとの合併協議に不参加を表明(武南市構想)。
2006年(平成18年) - 埼玉県戸田蕨保健所が川口保健所と統合し、埼玉県川口保健所戸田蕨分室となる。
2010年(平成22年) - 埼玉県川口保健所戸田蕨分室が廃止され、埼玉県川口保健所の管轄となる。
2016年(平成28年) - 市制50周年。2015年10月1日の国勢調査の速報値が県内最大の人口増加率(10.6%)であった[2]。