栃木県小山市
概要
小山市(おやまし)は、栃木県南部にある市。旧下都賀郡(境界変更を除く)。市域は首都圏に含まれ、人口は約16万7千人。2005年(平成17年)12月に宇都宮市に次いで栃木県第2位の人口をもつ都市となった。また、城南地区、美しが丘地区などの開発中のニュータウン地域もあり、周辺の市町と比較して労働人口が多く、人口増加がこれからも見込まれる都市である。
栃木県南部の中心都市であるとともに、東北新幹線・東北本線(宇都宮線)・両毛線・水戸線が通じ、東京方面と当地周辺部、栃木県南部及び茨城県西部を相互に結ぶ「結節点」、いわゆる玄関口となっている。
周辺の3市で小山都市圏を形成しており、その中心都市である。
歴史
概略
「小山」の地名は1,000年以上前の醍醐天皇の延長年間に和名抄の都賀郡の条に記載があり、古くからこの地名が使われていたことが分かっている。起源について定説は無いが、もっとも流布されているのはこの地が思川に臨む台地にあり、西の低地から望むと小さな山の形をしていることからというものである。また、一説にはアイヌ語で「オ」は持つ、「ヤマ」は丘といい、丘に富んでいることから小山になったというアイヌ語起源説もある。
市内からは多くの土器や石器などが発見され、古墳などの遺跡が広範囲に分布していることから、古くから人類が生活し、集落をつくっていたと推察されている。古くは縄文時代中期頃の遺跡も発見されている(寺野東遺跡等)。
小山は鎌倉時代、鎌倉幕府の有力武家藤原秀郷流小山氏の居城、祇園城(ぎおんじょう)の城下であった。室町時代に幕府が京に移ると、守護の地位は国司・宇都宮氏や関東管領・上杉氏に授けられた。その後小山義政が守護に復帰するが、鎌倉府の不興を買い討伐される(小山義政の乱)。後に小山氏傍系の結城氏一門が小山氏に養子に入り再興されたが、戦国期には後北条氏の攻撃により祇園城を明け渡した。豊臣秀吉による小田原征伐の折、遺領は結城氏に与えられたが、越前に移封となった後、無嗣断絶となった。江戸時代初期には祇園城に本多正純が3万石で入るが、間もなく16万石で宇都宮城へ移封となり、祇園城は廃城となった。以降、一時、城域の一部は将軍日光参宮のための休憩所「小山御殿」として使われたが、古河藩の財政難のおり廃止された。
江戸期の小山市域は日光街道の宿場町(小山宿、間々田宿等)及び、江戸川に通ずる思川の舟運によって栄えた。思川の河岸である乙女河岸は世に言う「小山評定」(徳川家康が、関ヶ原の戦いのため上杉景勝討伐をやめ、西に向かう評定をしたこと)時、上杉討伐のための兵馬の運搬に使われていたことから、以降、徳川幕府の厚い恩恵を受け日光東照宮造営のための資材船下ろし場となるなどして発展した。
明治以降
1869年(明治2年)- 小山宿は宇都宮藩に属す。
1871年(明治4年)7月14日 - 小山宿が宇都宮県に属す→大区小区制により第三大区七小区、都賀郡小山宿と呼称。
1872年(明治5年)- 間々田・小山・羽川に郵便取扱所を設置。
1873年(明治6年)6月 - 宇都宮県の廃止及び各県管理地の整理により現市域全域が栃木県管轄となる。栃木県第一大区七小区と改める。同時に小山宿近隣15カ村の連合戸長役場を小山宿に設置。
1875年(明治8年)4月 - 栃木警察署小山分署開設。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法により都賀郡が上都賀郡、下都賀郡に分割。現小山市域は下都賀郡に属す。
1885年(明治18年)7月16日 - 日本鉄道本線の大宮駅 - 宇都宮駅間が開通、小山駅開業。
1888年(明治21年)5月22日 - 両毛鉄道小山-足利間が開通。
1889年(明治22年)1月16日 - 水戸鉄道小山-水戸間が開通。
同年4月1日 - 市制・町村制施行により小山町・稲葉村・神鳥谷村が合併し下都賀郡小山町が誕生する。町役場は常光寺内に設置。
1894年(明治27年)4月1日 - 間々田駅開業。
1899年(明治32年)11月5日 - 観晃橋落成。
1907年(明治41年)11月 - 小山町に電話架設、通話始まる。
1911年(明治44年)4月10日 - 思川駅開業。
同年11月20日 - 町役場を新築移転。
1913年(大正2年)1月 - 小山町で初めて電灯点灯。
1921年(大正10年)- 小山町で乗合自動車・貸切自動車の運行始まる。
1931年(昭和6年)5月 - 日本無線電信(現KDDI)、神鳥谷に小山送信所開設。
1945年(昭和20年)8月4日 - 小山駅付近、空襲による機銃掃射により3人死亡。
1954年(昭和29年)3月31日 - 下都賀郡小山町と大谷村が新設合併。市制施行。
1954年(昭和29年)9月18日 - 市制施行記念事業として市の紋章を公募・厳選のうえ決定。[1]
1960年(昭和35年) - 小山遊園地オープン。
1962年(昭和37年)5月5日 - 桑絹町羽川小学校前の国道4号に日本初の通学用歩道橋「愛の橋」完成。
1963年(昭和38年)4月18日 - 下都賀郡間々田町と美田村を編入。
1964年(昭和39年)10月31日 - 現在地に市役所本庁舎落成。
1965年(昭和40年)4月24日 - 国立小山工業高等専門学校開校。
同年9月30日 - 下都賀郡桑絹町を編入。
同年10月10日 - 国道4号小山バイパス開通。
1968年(昭和43年) - 県立小山高校が夏の甲子園出場。
1969年(昭和44年)6月10日 - 市の人口が10万人を突破する。
1980年(昭和55年)6月1日 - 茨城県結城市と境界変更。
1991年(平成3年)1月1日 - 下都賀郡国分寺町と境界変更。
同年7月 - 第1回おやまサマーフェスティバル開催。
1992年(平成4年) - 犬塚に栃木県庁小山庁舎開設。
1993年(平成5年) - 城東に市立中央図書館開館。外城に県立県南体育館開館。
1995年(平成7年) - 市の人口が15万人を突破する。
1998年(平成10年)7月1日 - 茨城県結城市と境界変更。
2000年(平成12年) - 外城に県立県南温水プール館開館。
2004年(平成16年)2月1日 - 下都賀郡野木町と境界変更。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災発生。市内で最大震度5強を観測。負傷者4名、半壊1棟、一部損壊2,127棟などの被害が出る。
2013年(平成25年)9月17日 - 神鳥谷に小山市消防本部、小山市消防署を新築移転。
2015年(平成27年)6月29日 - 小山地区定住自立圏の中心市宣言。
同年9月9日〜9月10日 - 平成27年9月関東・東北豪雨により市内に史上初の大雨特別警報発令。932戸が床上浸水、593戸が床下浸水した。また、羽川西・鶉島の各浄水場が浸水し市内36,000世帯が断水または水圧低下となる。
2016年(平成28年) 2月29日 - 神鳥谷に小山警察署が新築移転。
同年3月 - 小山地区定住自立圏(小山市・下野市・下都賀郡野木町・茨城県結城市の3市1町)の定住自立圏形成協定を関係市町議会で議決。
同年、小山市民病院が新小山市民病院(神鳥谷)として新築移転。
2017年(平成29年)2月13日 - ベースボール・チャレンジ・リーグに所属する栃木ゴールデンブレーブスのホームタウンに決定する。
同年 11月4日 - 市内初(栃木県内3局目)となるコミュニティFM(おーラジ)が開局予定。