和光市

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埼玉県和光市

和光市(わこうし)は、埼玉県南部にある人口約8万1千人の市である。

概要

東京23区に隣接することから戦後急速にベッドタウンとして人口が増え、本田技研工業の工場建設(現在は工場は廃止)によって工業都市として発展した。市域の一部はキャンプ・ドレイク跡地に位置しており、本田技研工業の和光本社、国立病院機構埼玉病院、独立行政法人理化学研究所のほか、近年では司法研修所、税務大学校、裁判所職員総合研修所などの国や民間の研究・研修施設の立地が進んでいる。

住宅地として造成が進むが、かつての武蔵野の面影を残すような雑木林や畑が点在するほか、県営和光樹林公園など緑の多い公園もある。

歴史

近世まで
白子川沿いの台地には縄文期の遺跡が発見されている。隣接する成増地区にも同様に遺跡があり、台地上に集落が築かれていたと思われる。現在、その集落跡には寺社が建てられているケースが多い。
古墳時代から奈良時代にかけて、帰化人の移住があったとされる。その理由として白子(シラコ)は新羅(シラギ)の、新倉は新座(すなわち新羅)の転化とする説や、百済王子の住んだとされる牛房城伝説があるが、考古学的には何ら実証されていない。ただ江戸時代中期までは新倉は「新座」と表記されており(読みは同じ“にいくら”)、志木市や新座市にも同様の伝説があることから、単なる伝説ではないと考えられている。新座郡の項も参照されたい。
いずれにせよ、かなり古い時代から白子台地には集落が築かれており、現に寺社も多く、その中心地は現在バス停に名をとどめているだけだが「市場」辺りだったらしい。
戦国期には白子台地上で上杉勢と北条勢の争い「白子の戦い」があった。
江戸期には川越街道の宿場として白子宿が栄えた。当時の街並みはほとんど残っていないが、当時の中心地だった熊野神社周辺には旧家が残っている。中でも花火を稼業とした富沢家は中心的役割を占めており、現在も富沢姓の旧家が多い。また、江戸時代には新河岸川を通る水運も盛んであり、新倉には河岸が設けられていた。
鉄道が敷かれ、川越街道のルートが変更されると、白子宿や新倉の河岸は寂れた。白子宿周辺では豊富な清水を利用して魚の養殖、水車営業も行われたが、市の中心地は駅周辺に移行した。以前の白子には湧水が盛んに沸き出ており、明治9年(1876年)には白子村の熊野神社境内に日本最初の養魚場ができ、明治23年(1890年)に養魚場は閉鎖された。又、近くには、以前湧き水が流れ落ちていたため、滝坂と呼ばれる坂が現在でもある。
川越街道は、15世紀に江戸城と川越城を築いた太田道灌が部分的にあった古道をつないだものが起源と考えられており、元々は近世の川越街道(現在の旧川越街道、埼玉県道109号新座和光線)の東を蛇行していた。近世の川越街道の完成は松平信綱が川越城に入った寛永16年(1639年)以後のことである。
近代以降

理化学研究所
江戸時代、当市域は新座郡に属し、上新倉村・下新倉村・白子村の3村が設置されていた。
1869年3月21日(旧暦明治2年2月9日) - 3村は品川県の所属となる。
1871年12月25日(旧暦明治4年11月14日) - 3村は品川県から入間県へ移管される。
1873年(明治6年)6月15日 - 入間県と群馬県合併により3村は熊谷県所属となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 熊谷県が分割され、3村は埼玉県所属となる。
1884年(明治17年)4月1日 - 連合戸長制施行により、3村は白子村連合戸長役場の所属となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上新倉村が白子村連合戸長役場の所属から離脱し新倉村となる。また、下新倉村・白子村は合併し(新)白子村が発足。
1891年(明治24年)6月15日 - 新倉村字長久保を東京府に移管(北豊島郡大泉村、現在の東京都練馬区大泉学園町の一部)。
1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡に編入され、新倉村・白子村は北足立郡所属となる。
1943年(昭和18年)4月1日 - 新倉村と白子村が合併し、北足立郡大和町(やまとまち)となる。
1967年(昭和42年) - 理化学研究所が東京都から移転。
1970年(昭和45年)10月31日 - 大和町が市制施行に伴い名称変更、和光市になる。同時に市章を制定する[1]。
2016年(平成28年) - 理化学研究所で発見されたアジア初の新元素にニホニウムと命名。
市名(町名)の由来
町制施行時に町名に関してもめた為、「大いなる和」で一つになると言う意味から「大和町」と名付けられた。
市制施行時にすでに神奈川県に大和市が存在したため区別する為に新市名を一般公募し、「和光市」と名付けられた。大和町の「和」と栄光の「光」を組み合わせ、平和・栄光・前進を象徴し明るく住みよい街に躍進するように、という願いが込められている[2]。応募された市名で一番多かったのが「和光市」で、続いて「新倉市」「美和市」「埼玉市」「東埼市」「白子市」「埼南市」「本田市」「新和市」「栄市」「新大和市」「昭和市」「東和市」「南埼玉市」だった[3]。
市制施行記念の文鎮

市制施行記念の文鎮(表)

市制施行記念の文鎮(裏)
1970年の市制施行時に当市では市章を模った記念の文鎮を制作して市内小学校の児童に配布した。文鎮の底面には「市制施行記念、昭和45年10月31日、和光市」と記されている。鋳鉄製、大きさ=縦65mm、横80mm、厚7mm。

合併の状況
長らく関係の深い朝霞市・志木市・新座市との合併を目指す運動がしばしみられる。

1960年代には、当時の朝霞町・足立町[4]・大和町・新座町4町で合併し市制施行を目指す動きがあったが、話がまとまらないうちに1967年(昭和42年)に朝霞町が単独で市制施行し、合併はついえた。また、市制施行の人口要件が3万人に下げられたことから、大和町も含めた他の3町も単独で市制施行した。

平成の大合併では、2001年(平成13年)4月に「朝霞市・志木市・和光市・新座市合併協議会」が設置された。しかし、2003年(平成15年)4月13日に4市で実施された、合併の是非を決める住民投票で朝霞市、志木市は賛成多数、新座市はわずかに賛成多数となったものの、和光市では77%が反対という結果となり合併は破談となった。

合併に否定的な背景には、1986年から2010年まで[5]、および2016年以降[6]地方交付税の普通交付税不交付団体であることや、東京都に隣接しているという地理的な事情がある。

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