千葉市

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千葉県千葉市

概要

千葉市(ちばし)は千葉県西部の都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市(1992年(平成4年)4月1日移行[1][2][3])及び業務核都市に指定されている。東京都特別区部への通勤率は20.0%(平成27年国勢調査)。

歴史

古代
『日本後紀』大同元年正月癸巳(1月28日)(806年2月20日)条に、「千葉国造(ちはのくにのみやつこ)大私部直(おおきさいべのあたい、直はカバネ)善人」という人物が登場しており、大化の改新以前より千葉に国造が置かれていた可能性が高く、律令制成立後も下総国千葉郡と呼ばれる郡が成立した。更に『倭名類聚鈔』には千葉郡にあった7つの郷の1つに「千葉郷」と呼ばれる郷があったことが記されており、同郷は現在の稲毛区穴川・黒砂付近を指していたと考えられている。

千葉氏の本拠地
平安時代に千葉氏の祖、平常重が千葉郡千葉郷・池田郷一帯に千葉荘を開き、池田郷亥鼻に拠点を築いて千葉介を名乗る。以後子孫が室町時代まで下総国守護職として周辺を支配した。

しかし、享徳の乱に乗じた原胤房と馬加康胤によって千葉胤宣が討たれ、千葉氏宗家が滅びた後は、千葉妙見宮の小さな門前町となった。

徳川藩政時代
江戸時代には、現在の千葉市域の大半が佐倉藩の領土(この他に、市域は生実藩・曽我野の2小藩の本拠地となった)となった。

戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで
戊辰戦争後の明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県では、現千葉市は印旛県の領内に入れられた。しかし、1873年(明治6年)には印旛県と木更津県が合併されて千葉県が設置され、旧両県の境で千葉氏の本拠地でもあった現千葉市(亥鼻地区)に県庁が設置され、これ以後は千葉県の県庁所在地として発展することとなる。

市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を編入するとともに、海面の埋め立てを進め、現在の広大な市域が成立した。戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都として発展したが、1945年(昭和20年)6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ、市域の7割が壊滅する甚大な被害を受けた。

第二次大戦後
戦後、宮内三朗市長(名誉市民第1号)の元で大規模な埋め立てと市町村合併が行われ、京葉工業地域の中心都市として再建された。現在の緑区のうち、旧土気町であった部分はかつては上総国山辺郡(今の山武郡)に属していた地域である。

2003年(平成15年)2月、隣接する四街道市の住民の発議によって法定合併協議会が設置され、千葉市への編入として行政区名を「四街道区」とする方針が決まったが[6]、四街道市議会内で編入への賛否が拮抗したことから賛成派・反対派双方による発議により編入の是非を問う住民投票が行われることになり[7]、2004年(平成16年)5月16日の投票で反対意見が賛成を上回り[8]、6月28日に千葉県に合併協議会の解散を届け出て編入は白紙となった[9]。

年表
天治元年(1124年) - 千葉常重が猪鼻の地に居館を築く。
享徳4年(1455年) - 原胤房に千葉城を急襲され、千田庄(現在の香取郡多古町)に逃れた千葉胤宣が(元号が変わって康正元年8月12日(1455年9月23日)、原胤房に加担した馬加康胤に討たれ千葉氏宗家が滅亡した。
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、木更津県、印旛県、新治県が設置される。
1873年(明治6年)6月15日 - 木更津県と印旛県が合併され、千葉県が設置される。県庁を両県の境となる千葉郡千葉町(現・千葉市中央区本千葉町)に設置。
1875年(明治8年)5月7日 - 新治県が分割され、利根川以南が千葉県に編入される。現在の千葉県域が形成される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、千葉町、寒川村、登戸村、千葉寺村、黒砂村が合併し、千葉郡千葉町が発足。

1930年頃(昭和初頭)の千葉市周辺の地図。
1921年(大正10年)1月1日 - 千葉町が市制を施行し千葉市となる。全国で66番目・県内初の市制施行。
1931年(昭和6年) - 千葉市歌を制定。
1937年(昭和12年)2月11日 - 千葉郡蘇我町、検見川町、都賀村、都村を編入。
1944年(昭和19年)2月11日 - 千葉郡千城村を編入。
1954年(昭和29年)7月1日 - 千葉郡犢橋村を編入。しかし、このとき犢橋村が村内の軍施設を千葉市に報告しなかったため、1979年(昭和54年)に信管付き不発弾が見つかり、騒ぎになる。
1954年(昭和29年)
7月6日 - 千葉郡幕張町を編入。
8月1日 - 千葉郡津田沼町が千葉市の一部(旧幕張町北部:実籾、愛宕、安生津、長作、天戸)を編入して習志野町と改称、即日市制を施行して習志野市となる。
8月28日 - 習志野市の一部(旧幕張町北部:長作、天戸)を編入。
1955年(昭和30年)2月1日 - 千葉郡生浜町、椎名村、誉田村を編入。
1959年(昭和34年)2月1日 - 印旛郡四街道町(現・四街道市)大日の飛地を編入。
1963年(昭和38年)4月1日 - 千葉郡泉町を編入。
1969年(昭和44年)7月15日 - 山武郡土気町を編入。
10月1日〜1995年(平成7年)10月1日 - 公有水面埋立(海浜ニュータウン他)による編入。
1985年(昭和60年)6月1日 - 佐倉市の一部(下志津原、上志津原、上志津、下志津の各一部)を編入。
1990年(平成2年)6月1日 - 四街道市と境界変更。
1992年(平成4年)
4月1日 - 政令指定都市に移行し、6区が発足[1][2][3]。全国で12番目の移行[2][3]。
ロッテオリオンズの本拠地が川崎から千葉へ移転。これを機に千葉ロッテマリーンズへ改称[10]。
1994年(平成6年)10月1日 - 茂原市と境界変更。同日、市原市とも境界変更。
1995年(平成7年)
10月1日 - 市原市と境界変更。
11月1日 - 千葉市美術館を開館[11]。
1996年(平成8年)5月28日 - モントルー市と姉妹都市提携に調印[12]。
1999年(平成11年)10月1日 - 佐倉市と境界変更。
2006年(平成18年)12月1日 - 一部を四街道市に編入(境界変更)。
2010年(平成22年)5月20日 - 地域の福祉、健康等の増進及び人材の育成に貢献することを目的とし、淑徳大学と相互連携協定を締結。

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