那須烏山市

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栃木県那須烏山市

那須烏山市(なすからすやまし)は、日本の市の一つ。栃木県の東部にある。宇都宮市への通勤率は13.7%(平成22年国勢調査)。

概要

人口は約3万人で県東部地域の政治、経済、行政の拠点都市。那珂川県立自然公園に位置し、那珂川や荒川の清流、八溝山系に属する緑豊かな里山が織り成す景観に恵まれている。国の重要無形民俗文化財に指定されている「山あげ祭」や龍門の滝、温泉など歴史文化・観光資源が豊富な地域である。2005年(平成17年)10月1日に那須郡烏山町と同郡南那須町の新設合併により発足した。2011年3月11日の東日本大震災では、震度6弱の揺れを観測し、土砂災害などの大きな被害があった。

歴史

鎌倉時代から江戸時代まで
1213年 - 1218年(建保年間) 那須十郎が越前国より紙漉き職人を招き、程村紙(ほどむらし=厚手の和紙、程村は現那須烏山市下境地区にあった地名に由来、和紙伝来の起源は諸説ある)を創製。程村紙(烏山和紙ともいう)は国選択の無形文化財であり、今日でも地元学校の卒業証書等には透かし入りの程村紙が使用されている。
1418年(応永25年) 沢村五郎資重が稲積城から烏山城址(寿亀山:現在の那須烏山市城山)に烏山城を築いたのがこの町の始まりである。
1560年(永禄3年) 領内に疫病が流行、時の烏山城主・那須資胤(すけたね)が八雲神社に病魔退散を祈願。祭礼に際し、奉納余興を行う。今に伝わる山あげ祭が始まる。
1590年(天正19年) 成田氏長が、武蔵国忍(現在の埼玉県行田市)から2万石で入封し烏山藩が立藩、以後領主は次々と替わることになる。
1600年(慶長5年)大田原氏の一族大田原増清により交代寄合として、現那須烏山市森田地区に森田陣屋が築かれた。
1725年(享保10年)10月 大久保常春が烏山藩に2万石(1728年(享保13年)に1万石加増し3万石となる)で入封し、その後1869年(明治2年)の版籍奉還まで8代続く。本領のほか相模国にも飛地領を配し、相模国厚木村(現在の神奈川県厚木市の一部)は烏山藩(大久保氏)の支配となり、同所にも役所が置かれた(厚木陣屋)。
1836年(天保7年) 烏山藩の借財は34,000両余に達し(『相模原市史』)、窮状に陥る。翌1837年(天保8年)、二宮尊徳を招聘、天性寺境内にはお救い小屋が設置され、延べ1万余人が救済されるものの藩の復興はままならなかったという。
明治時代以降那須烏山市誕生まで
1871年8月29日(明治4年7月14日) 廃藩置県で烏山藩は廃藩となり、一時烏山県となったが、同年12月25日(11月14日)に宇都宮県に編入。
1874年(明治6年)5月1日 維新学校(現・烏山小学校)開校。
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行に伴い、那須郡烏山町・向田村(むかだむら)・境村(さかいむら)・七合村(ななごうむら)が発足。
1907年(明治40年) 私立烏山学館(後の県立烏山高等学校)開校。
1921年(大正10年) 烏山町立実践女学校(後の県立烏山女子高等学校)開校。
1923年(大正12年) 国鉄烏山線(現在のJR烏山線)が開通する。
1947年(昭和22年) 荒川村立荒川中学校(現・荒川中学校)学制改革により新設。
1986年(昭和61年)8月 那珂川洪水により、市内の宮原地区、向田地区など大被害。
旧烏山町
1954年(昭和29年)3月31日 烏山町と境村、向田村、七合村が合併し、新・烏山町となる。
旧南那須町
1954年(昭和29年)6月1日 下江川村と荒川村が合併し、南那須村となる。
1971年(昭和46年)9月1日 町制施行。
那須烏山市発足
2005年(平成17年)10月1日 那須郡烏山町と同郡南那須町の新設合併により発足。
南那須地区広域合併構想の経緯
南那須地区(旧烏山町、旧南那須町、旧小川町、旧馬頭町の4町)では、古来から経済的・地域的なつながりが深いことから、平成の大合併にあわせて地区合併協議会を設置した。一度は合併で合意し、公募により「那須南市」の新市名も決定された。しかしながら、市役所庁舎の建設計画などで対立が顕在化し、2004年(平成16年)10月30日に4町合併協議会は解散、広域合併構想は頓挫した。2005年に旧小川町と旧馬頭町が合併し那珂川町が発足し、旧烏山町と旧南那須町が合併し那須烏山市が発足した。
※4町合併後の新市名称として、「なかがわ市」「なか川市」「那珂川市」「那須那珂市」「那須みなみ市」「那須南市」「那南市」「みどり市」「八溝市」「やみぞ市」「那須烏山市」「那須みどり市」「みどり野市」「鮎川市」「那須やみぞ市」の15点が候補としてあがっていた。
那須烏山市発足以降
2006年(平成18年)9月 旧境中にて、映画「檸檬のころ(岩田ユキ監督、豊島ミホ原作)」のロケ撮影。地元中学生もエキストラとして出演(2007年(平成19年)公開)。
2007年(平成19年)7月 旧烏山町内をメインロケ地とした映画「ぼくたちと駐在さんの700日戦争(塚本連平監督)」の撮影が行われる(2008年(平成20年4月)公開)。
2008年(平成20年)4月 新生の県立烏山高等学校が開校。
2010年(平成22年)3月 県立烏山女子高等学校(旧・烏山町立実践女学校)、県立烏山高等学校(旧・私立烏山学館)閉校。
2012年(平成24年)8月1日 さくら市と境界変更。

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