栃木県足利市
足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある市。古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校がある。また、足利学校は2015年4月に日本遺産に認定された[1]。
概要
1990年の16万8,217人(国勢調査による)をピークに人口減少が続いている。県庁所在地である宇都宮市に次ぐ規模を誇っていたが、2005年国勢調査にて小山市に、2014年に下都賀郡岩舟町を編入した栃木市に抜かれ、現在は県内4番目の人口規模となっている。
国道407号を南進した群馬県太田市(約21万5000人、合併前約15万人)、埼玉県熊谷市(約20万4000人、合併前約15万8000人)は当市と同規模だったが市町村合併によりこの2市は人口増となった。一方、あしかがフラワーパーク等により2001年(平成13年)は263万人だった観光客入込数が2005年には301万人に増加している。
近年では、様々な映画やドラマなどのロケ地としても多く使われるようになった。
歴史
下野国足利荘は清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地で、平安時代末期には足利義兼が源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。鎌倉時代足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。足利義康の時代から絹の産地として有り、近世近代において織物業が発達した。
沿革
1889年4月1日 - 町村制施行により足利郡足利町が成立する。
1914年1月14日 - 市章を制定する[2]。
1921年1月1日 - 足利町が市制施行し足利市となる。
1935年11月16日 - 市旗を制定する[3]。
1951年3月30日 - 毛野村を編入する。
1953年4月1日 - 山辺町を編入する。
1954年
8月1日 - 三重村・山前村を編入する。
11月1日 - 北郷村・名草村を編入する。
1959年4月1日 - 富田村を編入する。
1960年7月1日 - 矢場川村の北東部を編入する。(南西部は太田市に編入する。)
1962年10月1日 - 御厨町・坂西町を編入。これにより足利郡が消滅。現在の市域が完成する。