深谷市

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埼玉県深谷市

深谷市(ふかやし)は、埼玉県北部にある人口約14万3千人の市。人口は入間市に次ぐ県内14位。

概要

1456年(康正2年)に上杉房顕が櫛引台地の北端部付近に深谷城を築き、その周辺に城下町が形成されたのが深谷市の中心市街地の始まりである[1]。江戸時代には中山道の宿場(深谷宿)が置かれ、最盛期には旅籠が約80軒並ぶなど宿場町としても発展した[1]。

岡部には安倍(あんべ)家の旧岡部藩岡部陣屋があり、遺構として長屋門、西島町に地方(じかた)通用門が残っている。

県下有数の農業地帯であり、深谷ねぎは日本一の出荷量を誇る。第一国立銀行の創立に携わるなど、近代日本経済の基礎を築いた渋沢栄一の生誕地でもある。また、当地が選挙区だった政治家の荒舩清十郎が運輸大臣在任時に、国鉄に働きかけて深谷駅に急行列車を停車させたことで話題になった。

1986年(昭和61年)に国土交通省により首都圏の業務核都市(熊谷市と一体指定)に指定されている。

歴史

古代から近世にかけての深谷市域は武蔵国榛沢郡、幡羅郡、男衾郡に属していた。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、深谷宿、田谷村、東大沼村、萱場村、西島村、西大沼村、曲田村、原郷村の一部、国済寺村の一部が合併し榛沢郡深谷町が成立する。
1896年(明治29年)4月1日 - 榛沢郡が大里郡、幡羅郡、男衾郡と統合し大里郡となる。
1955年(昭和30年)1月1日 - 大里郡深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併し、市制を施行、(旧)深谷市となる[1]。(埼玉県下18番目[1])
1973年(昭和48年)4月1日 - 大里郡豊里村を編入する[1]。
2006年(平成18年)1月1日 - (旧)深谷市、岡部町、川本町、花園町が合併し、新たに深谷市となる。
2006年(平成18年)3月5日 - 2代目の市章を制定する[2]。
2018年(平成30年) - 花園インターチェンジ付近に国内最大規模のプレミアム・アウトレットが開業予定。
2006年の市町村合併
経緯
ウィキソースに深谷市・岡部町・川本町・花園町を廃し、深谷市を設置する件の原文があります。
2001年から2003年にかけて、「大里はひとつ」を合い言葉に、大里地域(深谷市・熊谷市・大里郡)の合併について話し合っていたが、任意合併研究会の段階で破綻した。破綻した理由については「新市の市役所の場所について、深谷市(位置が新市の中心となる熊谷市の籠原駅付近に新たに建設)と熊谷市(熊谷市役所を活用)で意見が分かれたため」と報道された。

2003年4月1日大里地区で深谷市と熊谷市それぞれが中心となって、2つの法定の合併協議会が成立した。深谷市側は「深谷市・岡部町・川本町・花園町・寄居町合併協議会」を設立したものの、2004年3月24日に寄居町が離脱を表明したため、5月20日に合併協議会が解散した。

解散後、再び深谷市・川本町・岡部町の間で合併協議を再開した。花園町については町長と町議会で意見が分かれていたため、協議には加わらなかった。町長は寄居町との合併、町議会は深谷市・川本町・岡部町との合併を望んでいたのである。

花園町では、町長が寄居町との法定協議会設置案を議会に提出したものの否決されたため、町長が民意を問うために一旦辞職。出直し選挙に出馬し、再選を果たしたことから、同案を再提出したが再び否決された。この為、2004年11月14日に花園町が住民投票を行ったところ、僅差で深谷市などとの合併が、寄居町との合併を上回った。この結果を受け、迷走していた花園町は、深谷市との合併に向けて方向を定め、12月1日「深谷市・岡部町・川本町・花園町合併協議会」を設置、入れ替わりに「深谷市・岡部町・川本町合併協議会」を休止した。その後深谷市・岡部町・川本町・花園町の合併が成立し、現在の深谷市に至る。

岡部総合支所

川本総合支所

花園総合支所(改修工事中(2013年現在))

合併に伴う住所表記の変更
2006年の市町村合併に伴い、以下のように住所表記が変更された。

深谷地区は変更なし(「大字」という字句の削除のみ)
岡部地区、花園地区、川本地区は「深谷市」のあとに旧大字名が付く(ただし、川本町の明戸については、旧深谷市域に明戸があったため川本明戸に変更された。)
例1:大里郡岡部町大字岡 → 深谷市岡
例2:大里郡花園町大字黒田 → 深谷市黒田
例3:大里郡川本町大字明戸 → 深谷市川本明戸
合併推進構想
埼玉県が策定している『埼玉県市町村合併推進構想(仮称)』では、構想対象市町村の組み合せとして、大里地域では「深谷市・熊谷市・行田市・江南町(当時)・寄居町」という大里地域に行田市を加えた組み合わせが提言された。

南前小屋地区の編入合併
群馬県太田市前小屋町の南側の南前小屋地区(太田市前小屋町、二ツ小屋町の一部119.6ヘクタール)は、大正時代の利根川の河川改修などによる流路変化の結果として、その右岸(南岸)にあり、生活圏が深谷市と共になっていた。そのため、深谷市が太田市と協議を進め、同地区は深谷市に編入合併(越境合併)された。

2009年に、深谷市と太田市の両市議会、続いて、埼玉県・群馬県の両県議会の議決を得た後、総務大臣への届出がなされた。2010年(平成22年)1月に官報に告示され[3]、同年3月1日に県境・市境が変更された[4]。同時に、同じ理由で利根川左岸にある深谷市高島の一部(36.2ヘクタール)が、太田市に編入された[5]。

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