志木市

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埼玉県志木市

志木市(しきし)は、埼玉県南部[1]にある人口約7万4千人の市である。

概要

埼玉県南東部の荒川西岸に立地する市である。

江戸時代、市内を流れる新河岸川の舟運により引又河岸(現在の市役所付近の新河岸川周辺)が商業地として発展した。この周辺の経済基盤を背景として、大正期には東武東上線が誘致され、その開業と同時に志木駅が設置された。昭和後期には、館の柳瀬川河畔に志木ニュータウンが造成され柳瀬川駅が開業し、現在は東京圏のベッドタウンとなっている。

面積は日本の市の中で6番目に小さい[2]。

全国に先駆け、2002年(平成14年)より市独自に小学校低学年の少人数学級を導入した[3]。ほかにも、新成人自らが毎年企画・運営して成人式を開催するなど、進んだ教育施策をとっている[4]。 こうした取り組みは、周辺自治体から一定の評価を受けたようで、2004年(平成16年)に内閣府経済社会総合研究所が全国自治体を対象に実施した「生活者の視点による地域活力・活性化に関するアンケート調査」において、当市は「目標とする自治体」の全国第4位となっている[5]。

歴史

1351年(観応2年)12月19日 - 宗岡の羽根倉橋周辺にて羽根倉の戦いが起こり、足利尊氏方の高麗彦四郎経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破る。
室町時代中期 - 山内上杉氏家臣の豪族大石顕重が居館として柏城を築く。
1524年(大永4年) - 大石信吉により柏城が改築され西の郭、大外堀が形成される。
1538年(天文7年) - 北条氏綱が国府台合戦で勝利したのを期に、大石定久は北条氏綱に降伏し、柏城が事実上北条氏の持ち城となる。
1561年(永禄4年) - 上杉謙信が大軍を率いて柏城に来攻。城主大石政吉が上杉軍に討たれる。
1590年(天正18年) - 小田原の役により、柏城が豊臣勢に攻められ落城する。
江戸時代
1643年(寛永20年) - 引又河岸が開設される。
1643年(寛永20年) - 三上又兵衛が引又初代名主となる。
1644年(寛永21年) - 三上廻漕問屋が開業。
1656年(明暦2年) - 川越藩の命により井下田廻漕問屋が開業。
1662年(寛文2年) - 旗本岡部忠直の家臣である白井武左衛門により、新河岸川にいろは樋が架設される。
1784年(天明4年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川武左衛門、伊兵衛(姓不詳)の四軒の廻漕問屋が活躍する。
1864年(元治元年) - 三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川重五郎ら三軒の廻漕問屋が活躍する。
明治・大正時代
1867年(明治元年) - 西川屋が廻漕業から遠ざかる。
1869年(明治2年) - 引又および舘は高崎藩、宗岡は前橋藩および品川県の管轄下に置かれる。
1871年(明治4年) - 廃藩置県により引又・舘・宗岡ともに入間県の所属となる。
1872年(明治5年)6月 - 高須庄吉が発起人となり、本町の敷島神社に田子山富士が築造される。
1873年(明治6年) - 熊谷県の所属となる。
1873年(明治6年) - 引又郵便取扱所が開設される。
1874年(明治7年)7月 - 志木地区および宗岡地区に小学校が開校し、それぞれ志木小学校および宗岡小学校と称する。
1874年(明治7年)9月 - 引又村および館村が合併し志木宿となる。
1875年(明治8年)1月1日 - 引又郵便局となる。同年、志木郵便局と改称する。
1876年(明治9年)8月21日 - 志木・宗岡ともに埼玉県の所属となる。
1876年(明治9年)12月19日 - 大和田警察署志木分署が開設される。
1876年(明治9年) - 上宗岡の浅間神社に富士塚が築造される。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、新座郡志木宿となる。
1880年(明治13年) - 三上屋が廃業。その数年後に高須廻漕店が開業する。
1884年(明治17年)4月1日 - 志木消防組が設置される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、志木宿が改められ新座郡志木町となる。
1893年(明治26年)1月1日 - 宗岡尋常小学校と改称する。
1894年(明治27年) - 宗岡尋常小学校の校舎が新築される。
1896年(明治29年)3月29日 - 新座郡が北足立郡と合併し、志木町の所属が北足立郡となる。
1896年(明治29年)7月9日 - 志木町郵便受取所(郵便局)が開設する。
1897年(明治30年)12月1日 - 第八十五国立銀行が志木町に支店を開設する。
1902年(明治35年)4月1日 - 志木尋常高等小学校と改称する。
1905年(明治38年)4月1日 - 宗岡尋常高等小学校と改称する。
1913年(大正2年) - 宝幢寺の境内に浦和治安裁判所志木出張所(登記所)が置かれる。
1914年(大正3年)5月1日 - 東上線が池袋駅 - 田面沢駅間で開業し、志木町に志木駅が設置される。
1914年(大正3年) - 志木に初めて電灯がつく。
1916年(大正5年)6月28日 - 浦和 - 志木間に乗合バスが開業する。
1921年(大正10年)2月 - 細田裁縫女学校(細田学園女子高等学校)が創設される。
1924年(大正13年)5月15日 - 志木 - 所沢間に乗合バスが開業する。
1924年(大正13年) - 志木町役場の庁舎が新築される。
昭和 - 平成

秋ヶ瀬取水堰

宗岡取水口
1929年(昭和4年)10月31日 - 宗岡閘門及び洗堰ができる。
1930年(昭和5年) - いろは橋が架設される。
1930年(昭和5年) - 新河岸川改修工事の竣工式が挙行される。
1931年(昭和6年) - 県の通船停止令により、新河岸川の舟運が終了する。
1936年(昭和11年) - 埼玉第一飛行場(のち浦和飛行場)が着工。
1937年(昭和12年)10月 - 松永安左エ門によって、東邦電力の研究施設として町内に「東邦産業研究所」が設立される。
1939年(昭和14年)4月7日 - 町立志木商業学校が創立される。
1944年(昭和19年)2月11日 - 北足立郡志木町および内間木村、入間郡宗岡村および水谷村が合併し、北足立郡志紀町が発足する。
1945年(昭和20年)4月3日 - 幸町一丁目に米軍B-29が時限爆弾を8発投下。後に爆発し民家の母屋と物置が吹き飛び、防空壕に避難していた5人が巻き込まれ死亡。 
1947年(昭和22年)4月1日 - 志紀町に志紀中学校が開設される。
1947年(昭和22年)12月15日 - 慶應義塾獣医畜産専門学校が神奈川県川崎市から志紀町に移設される。
1948年(昭和23年)4月1日 - 志紀町が分離し、合併前の志木町、宗岡村、水谷村、内間木村となる(いずれも北足立郡)。町立志木商業学校の名称を町立志木高等学校と改める。慶應義塾獣医畜産専門学校を慶應義塾農業高等学校に改称する。
1949年(昭和24年)3月29日 - 町立志木高等学校を廃止し、その跡に志木中学校を移設する。
1949年(昭和24年)4月 - 志木公民館が落成される。
1951年(昭和26年)7月16日 - 宗岡公民館が落成される。
1954年(昭和29年)8月11日 - 県道新座川越線(通称防衛道路)が完成する。
1955年(昭和30年)5月3日 - 志木町と宗岡村が合併し、足立町が発足する。
1957年(昭和32年)4月1日 - 慶應義塾農業高等学校を普通科高校とし、名称を慶應義塾志木高等学校と改める。
1960年(昭和35年) - 立教高等学校が池袋から新座町に移転となり、これに合わせて志木駅に南口が開設される。
1960年(昭和35年)11月 - 埼玉県下で最も早く救急車が備えられる。
1964年(昭和39年)11月 - 水資源開発公団による秋ヶ瀬取水堰が完成する。
1965年(昭和40年) - 市場坂上付近の野火止用水が暗渠となり、道路が拡張される。
1965年(昭和40年)10月31日 - 志木電報電話局が開設される。
1965年(昭和40年)12月16日 - 幸町に国際興業バス川越営業所志木分車庫が開設される。
1967年(昭和42年)6月 - 足立町消防新庁舎を竣工する。
1967年(昭和42年)9月27日 - 足立町消防本部が設置される。 
1968年(昭和43年)4月1日 - 志木第二小学校が開設される。
1969年(昭和44年)4月15日 - 柏町に第一保育所が開設される。
1970年(昭和45年)10月26日 - 市制施行に伴い名称変更、志木市となる。同時に、市章を制定する[7]。
1970年(昭和45年)3月31日 - 宗岡浄水場が完成する。
1972年(昭和47年)4月1日 - 中宗岡に第二保育所が開設される。
1972年(昭和47年)5月31日 - 現在の市庁舎が落成する。
1973年(昭和48年)4月1日 - 宗岡第二小学校および志木第二中学校が開設される。
1973年(昭和48年)11月1日 - 宗岡地区の町名が上宗岡・中宗岡・下宗岡・宗岡となる。
1973年(昭和48年)11月25日 - 第1回産業祭が開催される。
1974年(昭和49年)4月1日 - 埼玉県立志木高等学校が開校する。幸町に第三保育所が開設される。
1975年(昭和50年)4月1日 - 志木第三小学校および宗岡中学校が開設される。
1975年(昭和50年)4月11日 - 本町二丁目で大火があり、42世帯141人が被災する(志木大火)。
1976年(昭和51年)4月1日 - 下宗岡に第四保育所が開設される。
1977年(昭和52年)4月1日 - 宗岡第三小学校が開設される。
1977年(昭和52年)9月15日 - 長野県南佐久郡南牧村に志木市少年自然の家が完成する。
1978年(昭和53年)4月1日 - 志木市歌が制定される。第一保育所が中野保育園に、第二保育所が北美保育園に、第三保育所が西原保育園に、第四保育所がばんば保育園にそれぞれ改名される。
1978年(昭和53年)5月1日 - 市民会館が開館する。
1979年(昭和54年)2月9日 - 保健センターが開所する。
1979年(昭和54年)3月1日 - 志木地区の残りの町名が館になる。
1979年(昭和54年)4月15日 - 図書館と郷土資料館が開設される。
1979年(昭和54年)5月7日 - 市民救急病院が開設される。
1979年(昭和54年)8月 - 志木ニュータウンへの入居が始まる。
1979年(昭和54年)11月8日 - 東上線柳瀬川駅が開業し、西口が設けられる。
1979年(昭和54年)11月10日 - 消防自動車(はしご車)が備えられる。
1980年(昭和55年)1月29日 - いろは水門(旧宗岡閘門)が撤去される。
1980年(昭和55年)4月1日 - 志木第四小学校および三ツ木保育園が開設される。
1980年(昭和55年)4月23日 - 市民体育館が開設される。
1980年(昭和55年)7月23日 - 柳瀬川駅に東口が設置される。
1981年(昭和56年)4月1日 - 宗岡第四小学校が開設される。
1982年(昭和57年)4月1日 - 宗岡第二中学校が開設される。
1987年(昭和62年)8月25日 - 東武東上線と旧営団地下鉄有楽町線(現東京地下鉄有楽町線)の相互直通運転が開始される。
1988年(昭和63年)10月24日 - 志木郵便局が柏町四丁目から本町五丁目に移転する。

新河岸川と鯉のぼり
1990年(平成2年)4月24日 - 新河岸川における鯉のぼり掲揚が行われる。
1990年(平成2年)11月25日 - 志木市交響楽団の第1回演奏会が行われる。
1992年(平成4年)3月13日 - 柳瀬川図書館が開設される。
1992年(平成4年)3月25日 - せせらぎの小径が一部完成する。
1993年(平成5年)3月16日 - 国際興業バス川越営業所志木分車庫が西浦和営業所の開設に伴い移転のため閉鎖。
1993年(平成5年)8月19日 - 大相撲志木場所が行われる。
1997年(平成9年)8月4日 - 群馬県館林市と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を締結する。
2000年(平成12年)2月24日 - 志木駅東口再開発ビルが竣工する。
2003年(平成15年)4月1日 - いろは遊学館が開設される。
2003年(平成15年)7月1日 - 本町にある朝日屋原薬局が国の登録有形文化財に登録される。
2005年(平成17年)3月31日 - ららぽーと志木が閉館する。
2005年(平成17年)8月25日 - 長沼明市長が財政非常事態宣言を発令する。
2006年(平成18年)1月17日 - 「災害時の食糧供給等の協力に関する協定」が山崎製パン埼玉第一工場と締結される。
2006年(平成18年)4月1日 - 「志木市立中学校通学選択の自由化」が開始される。
2006年(平成18年)7月1日 - 路上喫煙防止条例が施行される。
2007年(平成19年)4月1日 - 志木市立救急市民病院が志木市立市民病院と改称し、リハビリテーション科が設置される。
2007年(平成19年)8月25日 - 長沼明市長が財政非常事態の脱却を宣言する。
2008年(平成20年)4月17日 - 市町村で全国初となるねんきん特別便支援相談室を設置する。
2008年(平成20年)4月21日 - 長野県上水内郡飯綱町と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を締結する。
2008年(平成20年)6月14日 - 東京メトロ副都心線が開業。同時に、東武東上線と東京メトロ副都心線の相互直通運転が開始される。
2008年(平成20年)10月3日 - 人口が7万人を突破。
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で発生した津波が秋ヶ瀬取水堰に到達。
2013年(平成25年)7月30日 - 千葉県香取郡東庄町と「大規模災害時における相互応援に関する協定」を結ぶ。
2017年(平成29年)1月27日 - 山梨県富士吉田市と文化・観光交流協定を締結。

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