千葉県八千代市
概要
八千代市(やちよし)は、千葉県北西部の葛南地域に位置する市。人口約19万人、6位の市原市に次いで県内第7位の市である。住宅団地発祥の地として知られており、現在も東葉高速線沿線を中心に宅地開発が行われている。東京都特別区部への通勤率は26.6%(平成22年国勢調査)。
歴史
旧石器時代の遺跡が残されており、約3万年前からこの地に人が住んでいたとされる。
菅原道真のたたりを恐れた藤原時平の妻と娘が関東に逃れ、高津地区に住み着いたといわれている。
中世には米本城が構築されたが、1558年、城主の村上綱清(清和源氏村上氏流、千葉家家臣)が原因不明の自殺をし、廃城となった[注釈 2]。
江戸時代には、佐倉藩領、天領、旗本領に分けられた。成田街道大和田宿は、成田山への参拝客のための宿場町として栄えた。
1874年 - 現市域の南西部が陸軍の習志野演習場の一部として買収される。近年では旧日本陸軍軍用跡地に毒ガス弾が埋設され残っている問題が浮上した。環境省が調査を行っているが、旧日本陸軍習志野駐屯地跡地のある船橋市・習志野市など近隣市町村にまたがる広域の問題となっている[広報 3][広報 4]。
1889年(明治22年) - 市町村制の施行に伴い、千葉郡大和田村(1891年に町制施行)・同郡睦村・印旛郡阿蘇村が誕生する。
1923年(昭和元年) - 関東大震災後の混乱の中、高津地区で自警団による朝鮮人虐殺が発生[2]。高津観音寺内に慰霊碑が設けられている。
1926年 - 初の鉄道線京成線が開通し、京成大和田駅が設置される。
1954年(昭和29年) - 大和田町と睦村が合併し、新たに千葉郡八千代町が誕生する。八千代の名前は公募によって決定した。同年、印旛郡阿蘇村を吸収合併する。
1955年(昭和30年) - 日本住宅公団により日本初の大規模住宅団地・八千代台団地が建設される。その後も、大規模団地の建設が相次ぐ。
1956年(昭和31年) - 京成線八千代台駅が開業する。
1967年(昭和42年)1月1日 - 流山と共に市制施行。これにより千葉郡は消滅した。
1968年(昭和43年) - 京成線勝田台駅が開業する。
1996年(平成8年)4月27日 - 東葉高速鉄道が開業する。市内には八千代緑が丘、八千代中央、村上、東葉勝田台の4駅が設置される。
2000年(平成12年) - 人口15万人突破。
2012年(平成24年) - マスコットキャラクターとして、やっち誕生。
2015年(平成27年)7月1日 - 中央図書館・市民ギャラリーが開館[3]。
八千代市を構成している旧町村
千葉郡
大和田町
睦村
印旛郡
阿蘇村
志津村の一部(佐倉市西志津より編入。現在の勝田台七丁目)
変遷
1954年1月 千葉郡大和田町と千葉郡睦村が合併、千葉郡八千代町<新設>
1954年4月 八千代町高津の一部(安生津)を千葉郡幕張町へ
1954年9月 印旛郡阿蘇村を編入、千葉郡八千代町
1956年11月 八千代町井野の一部を佐倉市へ
1967年1月 市制施行、八千代市(千葉郡消滅)
1969年10月 佐倉市上志津の一部を編入、千葉市横戸町の一部を編入、勝田の一部を千葉市へ
1972年12月 千葉市横戸町の一部を編入
1975年7月 佐倉市西志津の一部を編入、勝田台の一部を佐倉市へ
2001年6月 印西市船尾の一部を編入、佐山の一部を印西市へ
2012年1月 印西市船尾の一部を編入、堀の内の一部を印西市へ