茨城県龍ヶ崎市
概要
龍ケ崎市(りゅうがさきし)は、茨城県南部に位置する市である。東京都市圏#茨城県(東京通勤圏)。
様々な表記をされるが(後述)、正式には「龍ケ崎市」で、「龍」・「ケ」を使用する。ただし、鉄道駅は「竜ヶ崎駅」、県立高等学校は「竜ヶ崎」の文字を使用する。郵便番号の上3桁は301。
東京都心から約45kmの位置にあり、ベッドタウンとして市北部の丘陵地帯に竜ヶ崎ニュータウンが開発された。
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、河内郡龍ケ崎町を設置。
1896年(明治29年)3月29日 - 河内郡・信太郡の一部が合併し稲敷郡になり、龍ケ崎町は稲敷郡に属する。
1927年(昭和2年)6月15日 - 現在の市章となる町章を制定する。[3]
1954年(昭和29年)3月20日 - 稲敷郡馴柴村、大宮村、八原村、長戸村、北相馬郡川原代村、北文間村を編入、市制施行し、龍ケ崎市になる。
1955年(昭和30年)2月21日 - 北相馬郡高須村の一部(高須・大留の一部)を編入。
2000年(平成12年) - 新たな住居表示町名として川崎町(旧・南中島町、若柴町、馴柴町の各一部)が設定される[4]。
常陸と下総
旧川原代村と旧北文間村(長沖、長沖新田、羽黒、豊田、須藤堀、北方)および旧高須村(高須、大留)は北相馬郡、すなわち下総国であった。それ以外は元来常陸国河内郡であった。小貝川が現在より東を流れ国境を形成していたのである。
市街
旧龍ケ崎町中心市街は、関東鉄道竜ヶ崎線竜ヶ崎駅から東に2km程度伸びている。その中には薬師堂・八坂神社・竜泉寺などの古い寺社があるほか、当時の豪商「小野瀬家」の店舗兼住宅が残されており、国の登録有形文化財に登録されて保存されている。江戸時代以前から地域の商業都市として栄えた。
江戸時代前期以前から、関東から東北に向かう海岸沿いのルートのひとつが、龍ヶ崎を通っていた。江戸幕府によって水戸街道が制定された際に、水戸街道は龍ヶ崎より西の取手宿・藤代宿・若柴宿・牛久宿を抜けるルートになり、龍ヶ崎は正式な街道筋からは外れた。
その後も、藤代宿と若柴宿の間にある追分から脇街道が分岐し、龍ヶ崎を通ったのち現千葉県の布佐・木下・安食を経由して成田に至っていた。また小貝川・利根川・江戸川の水運もあって、交通の要衝・物資の集積地であることに変わりなかった。
旧水戸街道
また、旧水戸街道の若柴宿は現在の龍ケ崎市内に含まれている。若柴宿は、南東端の八坂神社、北西端の金竜寺に挟まれ、両端にクランクを持つ古い宿場町の立地をよく残す街並みとなっている(ただし建物は、度重なる火災によって失われた)。