茨城県阿見町
概要
阿見町(あみまち)は、茨城県南部に位置する町である。稲敷郡に所属している。2017年7月1日現在、関東地方で最も人口の多い町である[要出典]。
歴史
霞ヶ浦に面する一部を除くと、畑作が中心の農村地帯で未開地も多かったが、1921年(大正10年)に海軍が霞ヶ浦飛行場開設し、翌年上郷に霞ヶ浦海軍航空隊が開隊されると、海軍航空の地として賑わうことになる。1929年(昭和4年)にツェッペリン伯号飛行船が寄港、1931年(昭和6年)にはリンドバーグ夫妻が阿見の地を訪れたりもした。1939年(昭和14年)には、神奈川県横須賀市から少年航空兵養成機関である予科練が土浦海軍航空隊に移転、軍歌「若鷲の歌」で知られるように、海軍航空兵育成の一大拠点となる。これら軍事施設が集中していたことから、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)にかけて空襲を受け、特に1945年6月10日の空襲では予科練習生や関係者など軍民合せて300人以上が死亡した。
戦後は旧海軍用地の多くが引揚者によって開拓され、また一部が旧制霞ヶ浦農科大学や土浦協同病院分院・協和発酵・井関農機などに充当された。更に自衛隊の設置に伴い、旧予科練一帯が土浦駐屯地・旧朝日村に近い一帯が霞ヶ浦駐屯地として再度防衛用地となる。また、1957年(昭和32年)8月1日、旧海軍航空補給廠跡地に防衛庁技術研究所土浦試験場が発足した(2015年10月現在は防衛装備庁航空装備研究所土浦支所)。
1955年(昭和30年)4月、旧阿見町・朝日村・君原村・舟島村(一部)の1町3村が合併し、現在の阿見町の町域が成立。1970年代以降は首都圏や筑波研究学園都市への通勤者のための住宅開発が進むと共に、工業団地の造成や工場誘致に先鞭をつけた。また霞ヶ浦農科大学の後身・茨城大学農学部に加えて茨城県立医療大学が開学するなど学生の町としての性格をも持っている。主要幹線道路沿いにロードサイド店舗の開業も進み、2009年(平成21年)7月9日には首都圏中央連絡自動車道阿見東IC付近にあみプレミアム・アウトレットが開店している。
2006年(平成18年)に、東隣の稲敷郡美浦村との合併・市制施行(仮称「霞南市(かなんし)」)が検討されていたが、美浦村の住民投票により反対となった為、白紙になった。