東京都葛飾区
葛飾区(かつしかく 英:Katsushika Ward)は、東京都の特別区のひとつで、23区東部に区分される。
概要
区内には、山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズで知られる柴又帝釈天や、江戸期の菖蒲文化を伝える堀切菖蒲園、秋本治の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で有名になった亀有(亀有公園はあるものの公園前に派出所(交番)は存在しない。最も近い実在の交番は亀有駅北口交番)がある。
近年は松戸・三郷・船橋等の近隣都市から、「土地や家賃も安く、より都心に近い」(新小岩駅や亀有駅からは東京都心のオフィス街の四ツ谷・水道橋や大手町に乗り換えなしで直通可能)という理由で移り住む住民も多く、23区内でありながら東京都民のベッドタウン的な要素も持つ。 また、茨城県守谷・取手両市との距離は20km程である。
歴史
沿革
1868年(明治元年) - 武蔵知県事の管轄となる
1869年(明治2年)1月18日 - 小菅県が新設されこれに属し、小菅県庁を葛飾郡小菅村に置く
1872年(明治5年)2月8日 - 小菅県を廃し、東京府葛飾郡となる
1878年(明治11年)11月2日 - 東京府、「葛飾郡」の地称を廃し、東京府南葛飾郡となる
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、現葛飾区域内に新宿町、金町村、奥戸村、水元村、亀青村、南綾瀬村、立石村の1町6村が誕生する(金町村、奥戸村、南綾瀬村、立石村はのちに町制)
1890年(明治23年)5月10日 - 立石村を本田村と改称する(のちに町制)
1932年(昭和7年)10月1日 - 5郡82町村が東京市に編入され、上記の5町2村は東京市葛飾区になる
以降、1937年(昭和12年)3月31日まで千葉県に同名の葛飾町があった(現在は船橋市の一部)
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京府・東京市が廃止され、東京都葛飾区となる
葛飾の名称について
葛飾の名称は現在の葛飾区の地域固有のものではなく、葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。この場合の「葛飾」とは、中央付近を概ね現在の千葉県市川市付近とし、北を埼玉県北葛飾郡、西を東京都葛飾区や墨田区・江東区の東部、東を茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場している。
なお現在の葛飾区一帯や江戸川区の付近は近世まで「葛西(葛飾の西部の意)」の名称で呼ばれていた地域であり、現在も東西線「葛西駅」、湾岸線「葛西ジャンクション」、「葛西臨海公園」、警視庁葛西警察署等にその名が残る。なお明治維新直後には、千葉県市川市から船橋市一帯に新行政庁として「葛飾県」が設置されたこともある。(詳細は葛飾郡参照)
現在の東京都葛飾区以外に「かつしか」「葛飾」の全部または一部の名が付いた地名等が数多いのは、こうして本来「葛飾」と呼ばれた地域が非常に広大であったためである。また、「葛飾」のほぼ中央付近に位置している、現在の京成電鉄京成西船駅(千葉県船橋市)は、1987年まで「葛飾駅」の名称を使用していたほか(現在も駅名下には「旧葛飾駅」の表記があるほか、JR西船橋駅南東側の町名は現在も「葛飾町」である)、この周辺に点在する学校等施設はいずれも「葛飾幼稚園」「葛飾小学校」「葛飾中学校」など、「葛飾」の名をそのまま現在も冠している。
また、JR総武線「本八幡駅(もとやわたえき)」の語源にもなっている神社「葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)」(千葉県市川市)など、葛飾の名を冠したものは、実は現在の葛飾区よりも、「本来の葛飾」の中央付近だった千葉県北西部(旧・東葛飾郡)に多い。
なお、当初東京市では区役所設置予定地を区名として採用することを原則としていたことから、新宿町が区役所設置予定地であったことから「新宿(にいじゅく)区」が最初の区名原案だった。しかし、当時の四谷区新宿及び新宿駅周辺地域と混乱する可能性があったなどのことから、この原案は採用されなかった[1]。