草加市

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埼玉県草加市

草加市(そうかし)は、埼玉県南東部に位置する人口は約25万人の市。越谷市に次いで県内6位の人口を有する。施行時特例市。南側を東京都足立区と接する。草加松原や草加煎餅で知られる。

概要

江戸時代、日光街道で江戸から2つ目の宿場町草加宿として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における1963年(昭和38年)の松原団地の造成や、東武伊勢崎線と営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線の相互直通運転開始により人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。それに伴い移住して来た人々が多いため市民の平均年齢は比較的若い。また、2003年(平成15年)3月19日からは半蔵門線・東急田園都市線との相互直通運転も開始され、都心への利便性が更に向上している。毛長川を隔てて東京都足立区と接しており、東京に通勤・通学する、いわゆる「埼玉都民」が多く、市内の広範に住宅地が広がる。一時期の団塊ジュニア時代よりも草加市の子供の人口は少ないものの、若年層の人口は比較的多い。

自動車での移動も、以前からあった南北を結ぶ国道4号に加えて、東京外環自動車道やその高架下を利用した国道298号も開通し、東西の移動が格段に向上した。

中心部は、都心まで約15kmという立地にありながら宿場町の面影を残す住宅地である。現在、松原団地の建て替え、再開発や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。2000年(平成12年)に彩の国中核都市に指定、2004年(平成16年)に特例市に移行した。

歴史

古墳時代前期(およそ250年 - 400年)頃 - 草加市では遅くとも古墳時代前期には人の定住が始まっており、当時の遺跡として東地総田遺跡[2]や谷塚古墳群等が残っている。
1221年 - 北条義時、承久の乱の戦勝を祝して武蔵国矢古宇郷(現在の草加市周辺)の郷司職50余町(約50ha)を鶴岡八幡宮に寄進する(「吾妻鏡」)。
1573年 - 地名『草加』の初見。(八潮市「持昌院文書ほか」)
1603年 - 草加地域の大半が江戸幕府直轄領となる。
1630年 - 江戸幕府、正式に草加宿を伝馬宿として認める(草加は日光道中の宿場町になる)。
1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
1889年4月1日 - 町村制が施行され、南草加村・北草加村・谷古宇村・宿篠葉村(しゅくしのはむら)・吉笹原村・東立野村(ひがしたてのむら)・原島村(ばらじまむら)・与左衛門新田・弥惣右衛門新田・庄左衛門新田・太郎左衛門新田が合併し、北足立郡草加町が成立する。
1955年1月1日 - 草加町・谷塚町(やつかまち)・新田村が合併し、草加町となる。
1955年8月1日 - 南埼玉郡川柳村(かわやぎむら)を編入する。
1955年11月3日 - 旧川柳村の5つの大字のうち、伊原・上谷(うわや)・麦塚が草加町から分離し、越谷町に編入される(青柳と柿木は草加町側に残る)。
1956年9月28日 - 南埼玉郡八条村のうち、立野堀が編入される。
1957年5月1日 - 旧安行村の花栗・苗塚・北谷(一部)・原(一部)・小山(一部)が川口市から分離し、草加町に編入される。
1958年11月1日 - 市制施行により、草加市となる。これに伴い、市内の大字を廃し、町名・町域変更が行われる。
彦右衛門新田 → 両新田西町
市右衛門新田 → 両新田東町
上谷塚 → 谷塚上町
中谷塚 → 谷塚仲町
下谷塚 → 谷塚町
東遊馬 → 遊馬町
原島 → 西町
南草加、東立野、庄左衛門新田(一部) → 氷川町
吉笹原 → 吉町
谷古宇 → 手代町、松江町、東町
宿篠葉 → 神明町へ編入
北草加、与左衛門新田、弥惣右衛門新田、太郎左衛門新田、庄左衛門新田(一部) → 栄町
立野堀 → 稲荷町
九左衛門新田 → 旭町
善兵衛新田 → 新善町
金右衛門新田 → 金明町
清右衛門新田 → 清門町
長右衛門新田 → 長栄町
新兵衛新田 → 新栄町
槐戸 → 八幡町
東中曽根 → 中根町
篠葉 → 弁天町
南青柳 → 青柳町
1965年 - 豪商浅古家(大和屋浅古質店)が所有する土地の一部を取得し、現市庁舎を建設する。
1967年 - 埼玉県草加保健所が設置される。
1968年 - 越谷市大字麦塚、大字千疋のそれぞれ極僅かな地域(麦塚:小字東、新田前耕地、蔵屋敷耕地、笹塚、山城耕地の各一部、千疋:小字九升田、庄権の各一部)を編入。(現在、越谷市では麦塚は川柳町(かわやなぎちょう)、千疋は東町(あずまちょう)と町名変更され地名が消滅してしまっているが、草加市に編入された部分の一部は、かなり狭小で無人の地区であるものの、柿木町内の一地区名として残っている。ちなみにこの千疋は、東京・日本橋にある「千疋屋総本店」の屋号の由来となった創業の地である。)

草加市千疋地区(写真奥は越谷市レイクタウン6丁目の住宅街)
1986年(昭和61年)4月1日 - 防災行政無線運用開始(当時の夕方のチャイムは「夕焼け小焼け」)。
1990年(平成2年)4月1日 - 防災行政無線の夕方のチャイム「想い出はいつも」放送開始。
2004年(平成16年)4月1日 - 特例市へ移行。
2007年(平成19年)4月1日 - 防災行政無線放送等変更。
2008年(平成18年) - 埼玉県草加保健所が越谷保健所及び吉川保健所と統合し、埼玉県越谷保健所草加分室に再編される。
2008年(平成20年)9月1日 - 防災行政無線の子供の見守り放送開始。
2010年(平成22年) - 埼玉県越谷保健所の再編が行われ、越谷保健所草加分室が埼玉県草加保健所に再度再編される。
2010年(平成22年)4月1日 - 埼玉県越谷児童相談所草加支所が開設される。
2015年(平成27年)10月1日 - 草加市消防本部と八潮市消防本部が統合し「草加八潮消防組合」が設立される。
2016年(平成28年)10月3日 - 防災行政無線のデジタル化寸前により、防災行政無線放送等変更。

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