栃木県真岡市
真岡市(もおかし)は、栃木県の南東部に位置する市。旧芳賀郡。
概要
農業・商業・工業のバランスのとれた芳賀郡市の中心都市である。
地名の「真岡(もおか)」の由来は、市街の中心部にあたる「台町」一帯の丘は、かつて、沼や沢で覆われ、水鳥たちの生息地になっていたとか、台地にそびえる松などの木々には、鶴が飛来し、その舞い飛ぶ様があまりにも美しいので人々はいつからか、「ツルの舞う丘」、「舞丘(まいおか)」と呼ぶようになって、舞丘が「もうか」といわれるようになり、「真岡」と書かれるようになったなどともいわれる。
真岡市街は、宇都宮市中心部から南東へ、概ね15kmから20kmの範囲に収まる。また、宇都宮市への通勤率は11.0%(平成22年国勢調査)である。
なお、読みは「もおか」「もうか」の2種類がある。駅名は「もうか」を採用していたが、真岡線が国鉄より第三セクターに移管された際に「もおか」に変更。行政的には「もおか」に呼称が統一された。
案内標識のローマ字表記は「Mooka」ではなく「Moka」となる。
歴史
旧石器時代:磯山遺跡
縄文時代:市内各所に遺跡あり。特に五行川に流れ込む小河川によって形作られる舌状台地上に分布する。
弥生時代:集落遺跡や土器散布地が多数見られる。
古墳時代:瓢箪塚古墳、稲荷山古墳(方形周溝墓が検出、高勢町に公園として整備)、鶏塚古墳
奈良時代:中村廃寺(倉庫址が出土 廃寺ではない)、大内廃寺、かつては中村地区に条里制遺構が残っていた。
鎌倉時代:中村城跡(現遍照寺、方形の土塁・堀が見られる)
室町時代:宇都宮氏の家臣芳賀氏がこの地方を治める。
安土桃山時代:天文13年(1544年)、常陸下館城主水谷蟠龍斎正村によって宇都宮家臣中村日向入道玄角が拠る中村城が落城、中村十二郷が下館領となる。宇都宮氏の取りつぶしにより芳賀氏の支配が終わる。
江戸時代:当初大名が入所したが、のちに天領になる。真岡代官所(真岡陣屋)配置。旗本の知行所も点在。後期は、荒廃した知行所再興の為、小田原藩主大久保忠真から派遣された二宮尊徳が、桜町陣屋、東郷陣屋にて報徳仕法を施す。
明治時代:郡役所が設置(明治以前は下野国芳賀郡であった)。1912年には下館と真岡の間に鉄道が敷設される。
大正時代:鉄道が茂木まで延伸される。
昭和時代:第二次世界大戦中、市街地南部に疎開企業として日本蓄音機(コロムビア)が進出。1954年3月に真岡町、山前村、大内村、中村の一町三村が合併し、同年10月に真岡市となる。
平成時代:2009年3月23日、隣接する二宮町を編入。