町田市

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東京都町田市

町田市(まちだし)は、東京都の多摩地域南部にある市。

概要

多摩川以南に位置する商業都市で、人口は東京都内では東京23区・八王子市に次いで3番目(市町村では2番目)に多い。東京都に位置する自治体としては島嶼地域を除くと最南部に位置する。国道246号・東名高速道路(京王相模原線・東急田園都市線・小田急線)と国道16号(横浜線)が交差する地域。

1960年代以降ベッドタウンとして発達したが、依然市内各所で農業が行われている。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、市内には現在も私立大学や一貫校が点在するなど、「青年の街」の色も見られる。

細長い市域全体が神奈川県側に大きく突出しており、東京都内の隣接自治体である多摩市や八王子市とは同じ南多摩地域にありながら丘陵で隔てられていることから、もっぱら神奈川県域との交流が盛んである。日本で唯一、3つの政令指定都市(すべて神奈川県の横浜市・川崎市・相模原市)に接している自治体でもある。

歴史

江戸時代まで
武蔵国多摩郡の南端に位置する。645年に起きた乙巳の変により、政権は全国を支配する体制を整え、地方を多くの国に分け、現在の町田市はほとんどが武蔵国に含まれることになった[7]。北西部の相原村や小山村は16世紀末に境川が武蔵国・相模国の境界として確定するまで相模国高座郡に属した。このことと関連して、境川をはさんで武蔵側(町田市)と相模側(相模原市・大和市)とで共通する地名が分布する(相原、小山、矢部、鶴間など)。
1335年(建武2年)、北条時行ら北条氏の残党が中先代の乱を起し、町田村井出の沢で足利直義を撃破し更に鎌倉へ向けて進攻する。
院政期に市域には小山田荘が立荘される。小山田荘には秩父平氏・小山田有重の子息が下国して本拠地とし、小山田氏となった。小山田氏は鎌倉期に甲斐国(山梨県)都留郡に入部し、系譜的関係は不明であるが、室町・戦国期には甲斐守護・戦国大名の武田氏家臣の郡内小山田氏を輩出している。
16世紀末の天正年間に町田村の村民が農地拡大のため近隣の原野を開拓し、その地を原町田村として分村した。後に「本村」である町田村は本町田村と村名を変更した。
江戸時代初期、市域内の村の多くは幕府直轄領(天領)であった。しかし数度の地方直しを経て、江戸時代中期までに旗本知行地となり、その多くが旗本数家あるいは幕府等との相給となった。幕末期、幕府直轄領の村は韮山代官の支配下にあった。
明治維新から第二次大戦まで
1868年(明治元年) - 市域内全村が明治政府直轄地となり、武蔵知県事の管轄(一部の村は武蔵知県事と韮山県に分属)とされたが、同年末までに全域が神奈川県に移管される。
当市域を管轄した武蔵知県事管内は後の品川県に当たるが、品川県への改称(1869年)以前に市域内は神奈川県へ移管された。
1871年(明治4年) - 廃藩置県後の府県再編後も引き続き神奈川県の管内とされる。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法により、南多摩郡に属する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により多く存在した村々が以下のように合併した。
原町田村・本町田村・森野村・南大谷村 - 町田村
小野路村・能ヶ谷村・金井村・大蔵村・野津田村・真光寺村・広袴村・三輪村 - 鶴川村
木曽村・山崎村・上小山田村・下小山田村・図師村・根岸村 - 忠生村
鶴間村・小川村・金森村・高ヶ坂村・成瀬村 - 南村
相原村・小山村 - 堺村
1893年(明治26年)4月1日 - 町田市を含む多摩郡域(南多摩郡、北多摩郡、西多摩郡)が、神奈川県から東京府に移管される。
1908年(明治41年)9月23日 - 横浜鉄道東神奈川駅 - 八王子駅が開業。現在の町田市域には原町田駅(現・町田駅)と相原駅が開業する。
1913年(大正2年)4月1日 - 町田村が、町田町になる(町制施行)
1927年(昭和2年)4月1日 - 小田急線開業。現在の町田市域には新原町田駅(現・町田駅)、玉川学園前駅と鶴川駅が開業する。
1945年(昭和20年)5月24日夜、空襲。
第二次大戦後

町田市役所 旧本庁舎(町田市中町一丁目20番23号、解体済)
1954年(昭和29年)4月1日 - 町田町と南村が合併し、改めて町田町を新設。
1958年(昭和33年)
2月1日 - 町田町、鶴川村、忠生村、堺村の1町3村が対等合併、市制施行し、町田市となる(合併当時の人口は61,105人)
10月1日 - 市章を制定。
1964年(昭和39年)4月5日 - 町田米軍機墜落事故が発生する。
1968年(昭和43年)4月1日 - 東急田園都市線つくし野駅が開業。
1970年(昭和45年)
1月19日 - 原町田五丁目8番24号(旧町田町役場[8]、現在の町田市健康福祉会館付近[9])から中町一丁目20番23号の新市庁舎に移転[10]。
9月25日 - 人口が20万人を超える[10]。
1972年(昭和47年)
4月1日 - 東急田園都市線すずかけ台駅が開業。
6月15日 - 市の木、市の花を制定。
1976年(昭和51年)
4月11日 - 小田急線新原町田駅が町田駅に改称。
10月15日 - 東急田園都市線南町田駅が開業。
1979年(昭和54年)4月1日 - 横浜線成瀬駅が開業。
1980年(昭和55年)4月1日 - 国鉄原町田駅が小田急線町田駅側に移転、町田駅に改称。
1991年(平成3年)4月6日 - 京王相模原線多摩境駅が開業。
2002年(平成14年)6月15日 - 市の鳥を制定。
2005年(平成17年) - 人口が40万人を超える。
2008年(平成20年) - 市制施行50周年。
2012年(平成24年)7月17日 - 旧日米富士自転車 町田工場跡地(町田市森野二丁目2番22号)の新市庁舎に移転。
市域の変遷
町田市は市制施行以後、隣接自治体との境界変更を数度実施している。特に相模原市とは境川の河川改修によって生じた「川向こうの飛地」解消のため、これまで複数回の境界変更を行った。

1973年(昭和48年)12月1日 - 東京都多摩市と多摩ニュータウン区域界を境に境界変更。
町田市小野路町、上小山田町および下小山田町の一部が多摩市に編入され、また多摩市落合の一部が町田市に編入となった。
多摩市に編入になった部分は多摩市永山、貝取、豊ヶ丘、落合、鶴牧、唐木田、南野のそれぞれ一部となっている[11]。多摩市南野は(多摩市の南+小野路から)ということで名付けられた。
1985年(昭和60年)2月1日 - 神奈川県大和市と境界の一部を変更。
町田市金森、鶴間のそれぞれ一部が大和市に、大和市下鶴間の一部が町田市に編入される。
1999年(平成11年)12月1日 - 神奈川県相模原市、大和市と境界の一部を変更。
町田市金森の一部が相模原市と大和市に、相模原市上鶴間の一部が町田市に編入される。
2004年(平成16年)
3月1日 - 東京都八王子市と境界の一部を変更。
町田市相原町、小山町のそれぞれ一部が八王子市に、八王子市鑓水、南大沢のそれぞれ一部が町田市に編入される。
12月1日 - 神奈川県相模原市と境界の一部を変更。
町田市原町田、森野、金森のそれぞれ一部が相模原市に、相模原市上鶴間、鵜野森、古淵のそれぞれ一部が町田市に編入される。
2007年(平成19年)12月1日 - 神奈川県相模原市と境界の一部を変更。
町田市森野、木曽町のそれぞれ一部が相模原市に、相模原市上鶴間本町、鵜野森、古淵のそれぞれ一部が町田市に編入される。
2010年(平成22年)12月1日 - 神奈川県相模原市と境界の一部を変更。
2013年(平成25年)12月1日 - 神奈川県相模原市と境界の一部を変更。
2016年(平成28年)12月1日 - 神奈川県相模原市と境界の一部を変更。

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