水戸市

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茨城県水戸市

水戸市(みとし)は、茨城県の中部に位置する県庁所在地で、施行時特例市である。

概要

水戸徳川家所縁の地として、水戸黄門(徳川光圀)や梅の名園「偕楽園」で知られ、毎年2月には水戸の梅まつりが、8月には水戸黄門まつり、9月には水戸萩まつりが開催される。また明治時代以降は納豆の生産が盛んになり、「水戸納豆」として親しまれ、納豆にちなんだ料理やお土産の販売、納豆早食い世界大会も開かれている。

中心部を含む市域の大部分は旧茨城郡(1878年より東茨城郡)であり、茨城県の名称は県庁が茨城郡水戸に置かれたことに由来する。市域の一部に旧那珂郡域を含む。

水戸都市圏(都市雇用圏)の人口は約66万人(2000年)。前市長の加藤浩一は、隣接市町村との合併で政令指定都市を目指し、市の広報などでその構想を発表している。

歴史
地名の由来
「水戸」という地名は、那珂川の舟運の河港として盛え、水運の戸口とされていた事に由来する。いつから呼ばれていたかは定かではないが、西暦1400年ごろ(室町時代)には既にその名があったと言われている。那珂川の水運は近代まで存在していたが、陸上輸送に代わられた現在は残っておらず、地名だけが残っている。

年表
古代から律令時代まで
「常陸国」も参照
6世紀頃、ニガサワ古墳群など、市内でも古墳が造営される。
平安時代末期には、常陸大掾氏一門の馬場資幹が、水戸台地に館を構えた。これが水戸城の最初と言われる。
戦国時代から江戸時代まで
「水戸藩」も参照
戦国時代には、佐竹義宣が、豊臣秀吉の下で勢力を伸ばして水戸城を手に入れた。しかし、佐竹氏は関ヶ原の戦いで徳川側に付かなかったため、徳川家康により水戸を追われ、秋田に転封された。
1609年、家康の息子徳川頼房が、徳川御三家の一つとなって水戸城主となった(水戸藩)。江戸幕府が倒され、1871年に廃藩置県が行われるまで、頼房の子孫が代々藩主を務めた。
歴代藩主の中でも、「大日本史」の編纂に当たった第2代徳川光圀と、藩校弘道館を創設した第9代徳川斉昭は特に有名である。
1842年:徳川斉昭が藩主となる。この頃から、水戸学が幕末の思想界に大きな影響を与える。
1858年:安政の大獄で、斉昭が永蟄居を命じられる。
1860年3月3日:桜田門外の変が勃発。水戸浪士らが大老・井伊直弼を暗殺する。
1864年5月2日:天狗党の乱が勃発。
明治から第二次世界大戦まで
1871年(明治3年)8月29日:廃藩置県により茨城県に属し、水戸は県庁所在地となった。
1889年(明治22年)4月1日:市制施行により水戸市となる。人口約25000人(市制施行の人口2万2993人)で、日本で最初に市制施行した31市の中の一つである。
1891年(明治24年):茨城新聞社創立。
1896年(明治29年):偕楽園「水戸の梅まつり」始まる。
1897年(明治30年)2月25日:常磐線水戸駅開通。水戸測候所(現在の水戸気象台)開設。
1906年(明治39年):大日本史完成(1657年着手)。
1907年(明治40年):水戸市に初めて電灯が灯り、電話も一部で開通する。
1910年(明治43年):電話と電気が、当時の市内全域で使用可能となる。
1920年(大正9年):旧制水戸高等学校(現茨城大学)創立。
1926年(大正15年):水戸市立高等女学校創立。
1933年(昭和8年):東茨城郡常磐村を編入。
1938年(昭和13年):満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所開設。
1944年(昭和19年):ペリリューの戦いにおいて、水戸歩兵第2連隊玉砕。第2連隊将兵約3000名中生存者34名。
1945年(昭和20年):艦砲射撃、8月2日のB-29による水戸空襲のため、市内の3/4を焼失。水戸城御三階櫓焼失。
第二次世界大戦後
1947年(昭和22年):市立女子専門学校が開校する。水戸公園を弘道館公園と改称する。吉田村の一部を編入する。
1949年(昭和24年):茨城大学が創立される。
1952年(昭和27年):弘道館が国の特別史跡に指定される。緑岡村の全部と上大野村の一部を編入する。
1954年(昭和29年):八幡宮本殿が、国の重要文化財に指定される。
1955年(昭和30年):昭和の大合併で東茨城郡上大野村・渡里村・吉田村・酒門村・河和田村の一部、那珂郡柳河村を編入する。
1957年(昭和32年):東茨城郡飯富村・那珂郡国田村を編入する。
1958年(昭和33年):偕楽園の好文亭の復元工事がされて完成する。東茨城郡赤塚村を編入する。
1959年(昭和34年):市制施行70周年記念式典を挙行する。水戸市歌が制定される。
1961年(昭和36年):水戸の七夕黄門まつりを開催する(以後毎年開催)。
1963年(昭和38年):茨城放送が設立されて、本放送を開始。
1965年(昭和40年):福井県敦賀市と姉妹都市提携を結ぶ。市内電車(茨城交通水浜線)部分が廃止される(水戸駅前〜上水戸)。
1966年(昭和41年)
市内電車区間を含む(茨城交通水浜線)全線廃止される(水戸駅前〜浜田〜大洗)。
住居表示実施に伴い藩政時代からの旧町名の大半が消滅する。
1968年(昭和43年):交通安全都市宣言。彦根市と親善都市提携。市北部へ向かう鉄道、茨城交通茨城線部分廃止(大学前〜石塚)。
1970年(昭和45年):市民憲章が制定される。
1971年(昭和46年):茨城交通茨城線全線廃止(赤塚〜上水戸〜大学前)。
1972年(昭和47年):市庁舎、三の丸一丁目(水戸駅北口)から千波町(現:中央一丁目、水戸駅南口)に移転する。
1974年(昭和49年):高松市と親善都市提携を結ぶ。
1976年(昭和51年):人口20万人突破。アナハイム市(米国)と国際親善姉妹都市提携。
1977年(昭和52年):彰考館徳川博物館開館。
1978年(昭和53年):渋谷PARCOに次いで日本で2番目にできたファッションビルがサントピアだった[1]。
1980年(昭和55年):市立中央図書館、市立博物館開館。楮川ダム建設開始。
1984年(昭和59年)3月27日:常磐自動車道水戸ICが供用開始。
1985年(昭和60年):核兵器廃絶平和都市宣言。楮川ダム・楮川浄水場完成。
1986年(昭和61年):8月、「昭和61年8月豪雨」により那珂川が氾濫。過去最悪の被害(3,580戸浸水)。
1988年(昭和63年):公民館の全小学校区への配置完了、中央公民館廃止。
1988年12月1日:東茨城郡常北町と境界変更。
1989年(平成元年):市制施行100周年記念式典挙行(市民体育館)。
1991年(平成3年):市の木(ウメ)、市の花(ハギ)、市の鳥(ハクセキレイ)制定、緑の都市宣言。
1991年10月1日:那珂郡那珂町と境界変更。
1992年(平成4年)2月:土地区画整理に伴う新たな住居表示地名として、けやき台1丁目〜3丁目(旧酒門町の一部)が設定される[2]。
1992年(平成4年):東茨城郡常澄村を編入。水戸の七夕黄門まつりを水戸黄門まつりに改称。
1993年(平成5年):第10回全国都市緑化フェア(愛称グリーンフェア'93いばらき)開催。
1993年11月1日:那珂郡那珂町と境界変更。
1995年(平成7年)3月1日:那珂郡那珂町と境界変更。
1995年12月27日:東茨城郡常北町と法定協議会「水戸市・常北町合併協議会」設置(住民発議)。
1996年(平成8年):男女共同参画都市宣言。新水戸八景の制定。
1997年(平成9年):サッカー・旧JFLリーグに水戸ホーリーホック昇格。
当初は土浦市を本拠としていた「プリマハムFC土浦」だったが、JFL昇格を動機に、1994年に結成された茨城県リーグのFC水戸と合併して、水戸に移転した。
1998年(平成10年):大河ドラマ「徳川慶喜」放送、徳川慶喜展示館臨時開館。
1998年8月:栃木県北部集中豪雨の影響によって那珂川が市内で氾濫。
1999年(平成11年):生涯学習都市宣言。
1999年4月:茨城県庁舎が笠原町に移転する。
1999年9月30日:東海村JCO臨界事故が発生する。市内の一部に屋内待避要請。
2000年(平成12年):水戸ホーリーホック、J2リーグ参入。
2001年(平成13年):特例市へ移行。
2004年(平成16年)10月1日:NHK水戸放送局、県内向けの地上デジタルテレビジョン放送を開始。市内千波町に民放(中継局)と共同で送信所を設置。
2005年(平成17年):東茨城郡内原町を編入。内原町議会議員は合併特例法を適用せず、水戸市議会議員になれなかった。代わりに非常勤特別職の参与というオブザーバー的な身分になったが、これは全国的にも極めて珍しいケースである。参与の報酬は議員と変わらない。なお、以前に常澄村を編入した際にも、同様の措置がとられている。
2006年(平成18年):オセロ発祥の地として、第30回世界オセロ選手権大会開催。
2006年(平成18年)2月:隣接する茨城町との合併協議会が設立され、2007年12月の合併を目指していたが、2007年の統一地方選挙において茨城町長に合併慎重派が当選。合併基本合意の取り下げを水戸市に申し入れた。
2007年(平成19年):統一地方選における市議会議員選挙では、2005年2月に合併した旧内原町区域と旧水戸市域とに選挙区分けを行った。これは県内市町村議選では初めてである[疑問点 – ノート]。
2007年(平成19年)12月1日:東茨城郡城里町と境界変更。
2010年(平成22年)3月21日、22日:コみケッとスペシゃル5in水戸開催。
2011年(平成23年)3月11日:東北地方太平洋沖地震が発生。
水戸市では震度6弱[3] を記録し、死者2名、重軽傷者78名、家屋全半壊25,982件の被害。常澄地区に津波の為、宮町3丁目及び酒門町、元吉田に土砂災害の為、避難指示又は勧告が出された[4]。
また市全域で電気、ガス、水道が停止した他、JR常磐線の運休や常磐自動車道の通行止め、ガソリン不足により物流が停止し、食料や日常生活品が品不足になるなど市民生活に影響が出た。
2012年(平成24年)10月28日:第1回水戸まちなかフェスティバル開催。
2016年(平成28年)10月30日:第1回水戸黄門漫遊マラソン開催。

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