栃木県日光市
日光市(にっこうし)は、栃木県の北西部に位置する市。
概要
古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮の鳥居前町として参拝客で賑わった。以後「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」という言葉で日本中に観光地・景勝地として知られるようになった。
明治時代に入ると、海外でも景勝地として知られていた日光東照宮や中禅寺湖、日光湯元温泉、藤原などを外国人が訪れるようになり、外国人に対応した宿泊・滞在施設が整備され、国際観光都市としての体裁が整えられていった[注釈 1][注釈 2]。
2006年3月20日に今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が合併され、現在の日光市が発足した。2006年以後の日光市役所本庁は旧今市市役所(今市本町)であり、現在の日光市長は元今市市長が務めている。この2006年の合併により、「門前町」日光は元より、日光江戸村など周辺の観光地も「日光市」に含まれることとなった。面積は栃木県はおろか、関東地方全体でも最大で、全国の市では岐阜県高山市と静岡県浜松市に次いで全国第3位となる、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。観光キャッチフレーズとして「四季の彩りに風薫るひかりの郷」を掲げ、国際観光都市としての振興を図っている。
市内の観光地・景勝地としては、旧日光[注釈 3]の日光の社寺や、エリアとしての日光[注釈 4]の日光連山(男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、赤薙山、太郎山など)、中禅寺湖、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖や日光湯元温泉、そして行政地域としての現日光市域の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡、足尾銅山などがある。1999年には「日光の社寺」が世界遺産に登録された。
また、建築家(丹下健三、芦原義信、隈研吾、アントニン・レーモンド等)による近・現代建築が多数存在する地域でもある。
歴史
江戸時代以前、日光は日光山の門前町、修験道の道場であり山岳信仰の聖地であった。鎌倉時代には日光権現として知られていた。その後、徳川家康が覇権を握ると家康に仕えその深い信頼を得ていた慈眼大師天海が家康の力により日光山貫主となり、家康の死後はその進言により家康の神号が権現となり廟所も日光東照宮となった。日光が参詣客(物見遊山)で賑わうようになったのはこの頃からである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。
明治時代に入ると富国強兵の国策のもと、海外からお雇い外国人が渡航するようになり、当時海外にも広く知られていた景勝地日光を訪れる外国人が増えた。イザベラ・バードやフランツ・フェルディナント大公は日光滞在中の出来事を手記として残し、当時の日光の様子を知る貴重な文献として知られている。こうした外国人が日光に快適に滞在・宿泊するため、ホテルなどの施設が整備され、以後、国際観光都市として広く世界に知られるようになった。特に日本駐在大使館・領事館の別荘が多く建てられ、「夏になると外務省が日光に移る」といわれるほどであった。その名残で現在も日光には洋風建築が多く残っている。
江戸時代まで
782年(延暦元年):勝道上人が四本龍寺(現輪王寺)を建てる。
784年(延暦3年):勝道上人が中禅寺湖畔に中禅寺を開く。
1617年(元和3年):日光東照宮建立。以来、江戸時代には日光街道の終着地、日光東照宮の門前町となる。
明治維新以後
1889年(明治22年)4月1日:町制施行により日光町、七里村、清滝村、細尾村、野口村、北和泉村、山久保村、所野村、久次良村が合併し上都賀郡日光町が発足する。
1890年(明治23年)8月1日:旧国鉄(現東日本旅客鉄道)日光駅開業。
1929年(昭和4年)10月1日:東武日光駅開業。
1954年(昭和29年)2月11日:日光町と小来川村が合併して市制を施行し、日光市が発足する。
2006年(平成18年)3月20日:今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、現在の日光市が発足する。同時に2代目の市章を制定する。[9]