東京都多摩市
概要
多摩市(たまし)は、東京都の多摩地域南部にある市である。
歴史
旧石器時代 - 約25,000年から20,000年前の石器が豊ヶ丘で出土している
縄文時代 - 約10,000年前から3,000年前位まで、多数の縄文人が定住をしていた(当時の住居跡、土器、石器、墓が多数発見される)
古墳時代後期 - 稲荷塚古墳(八角墳)、臼井塚古墳、塚原古墳群など多数の古墳(和田古墳群)が築造される
奈良時代 - 武蔵国多磨郡と表記されるようになる。またこの頃南多摩窯跡群が作られる
奈良時代頃 - 武蔵国の六所宮の一つ、武蔵一宮として小野神社が創建される
鎌倉時代 - 1213年、関戸に鎌倉幕府の関所である霞ノ関が築造される
鎌倉時代 - 1333年5月16日、関戸で“関戸の戦い”が起こり、新田義貞軍が北条泰家を破り霞ノ関を突破する
鎌倉時代 - 関戸城(新田義貞軍の監視目的)を築城する
鎌倉時代〜江戸時代末期 - 関戸が宿場町として栄える
江戸時代中期 - 江戸を中心とした経済圏が広がり貨幣経済が浸透する
江戸時代・中世後期〜近世 - 当時多摩市域に広がっていた「郷」が解体され始める。また、この頃から入会地をめぐる争いが頻発する
1871年 - 廃藩置県が行われ関戸村など8カ村が神奈川県多摩郡に入る
1872年 - 学制が発布され、学校の運営を始める
1878年 - 多摩郡を東西南北の4郡に分ける
1881年 - 連光寺一帯に連光寺村御猟場が設置される
1882年、1892年、1893年 - 1882年に連光寺から稲城にかけての1213町歩が連光寺御猟場に指定される。また、同年に向岡、1892年に兆民、1893年に処仁の各校が開設される
1889年4月1日 - 市制町村制施行により、関戸村・連光寺村・貝取村・乞田村・落合村・和田村・東寺方村・一ノ宮村の8ヶ村、および百草村・落川村両村の飛地が合併し多摩村となる(村役場は関戸に設置)
1893年4月1日 - 東京府に移管
1912年 - 向岡、兆民、処仁の各校が合併し、多摩尋常高等小学校が開校する
1925年 - 玉南電気鉄道の関戸駅(1937年に聖蹟桜ヶ丘駅へ改称)が営業開始、同年多摩村全域に電気が供給される
1930年 - 多摩聖蹟記念館(現:旧多摩聖蹟記念館)が開館する
1943年 - 東京都制施行
1952年 - 現市役所の位置に忠魂碑が建てられる(現存)
1960年 - 京王帝都電鉄(現京王電鉄)が桜ヶ丘分譲地を建設
1962年5月 - 関戸・一ノ宮・和田・東寺方地区の一部に水道が開通(1964年までには村内ほぼ全ての地区に水道が開通)
1964年4月1日 - 町制が施行され、多摩町となる
1965年
1月5日 - 現在の市章である町章を制定する。[9]
12月 - 多摩ニュータウン開発が都市計画決定される
1971年
3月26日 - 諏訪・永山地区入居開始
11月1日 - 市制が施行され、多摩市となる
1972年 - 愛宕地区入居開始
1973年
4月 - 多摩清掃工場が稼働
8月 - 市内初の公民館(現 関戸公民館)と図書館(旧本館)が開館。他の図書館の開館年月日は「図書館」の項を参照
12月 - 町田市上小山田町、下小山田町、小野路町の一部が多摩市に編入、多摩市落合の一部が町田市に編入された。多摩市に編入した部分は永山、貝取、豊ヶ丘、落合、鶴牧、唐木田、南野のそれぞれ一部となった。
1974年
6月 - 小田急多摩線が小田急永山駅まで開通
10月 - 京王相模原線が京王多摩センター駅まで開通
1975年4月 - 小田急多摩線が小田急多摩センター駅まで開通
1976年 - 貝取・豊ヶ丘・落合地区入居開始
1982年 - 八王子市鹿島・松が谷地区で多摩市への編入運動が起こる
1983年 - 鶴牧地区入居開始
1984年 - 聖ヶ丘地区入居開始
1986年11月 - 長野県富士見町と友好都市の提携を結ぶ
1988年3月 - 多摩中央警察署開設
1990年
3月 - 小田急多摩線が唐木田駅まで開通
4月 - 防災行政無線運用開始。
1991年 - 唐木田・中沢地区入居開始
1997年11月 - 「多摩市ミニバス」運行開始
1999年 - 業務核都市の指定を受ける
2000年1月 - 多摩都市モノレール線が多摩センター駅まで開通
2005年 - 多摩センター地区入居開始