埼玉県吉見町
概要
吉見町(よしみまち)は、埼玉県中部、比企郡の東部にある人口約2万人の町である。
歴史
3世紀後半 - 三ノ耕地遺跡で前方後方型周溝墓が造られる。
4世紀前半 - 山の根古墳が三ノ耕地遺跡を見下ろす丘陵上に築かれる。
5-6世紀頃 - 和名埴輪窯跡で埴輪が焼かれる。
7世紀頃 - 吉見百穴が造られる。
14世紀頃 - 上田氏によって松山城が築かれる。
16世紀中葉 - 後北条氏の支配下にはいる。
1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。ほか町域では古河県・佐倉県に属した村もあり。
1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。吉見町域は入間県に移管。
1873年(明治6年) - 入間県が熊谷県に編入。
1876年(明治9年) - 熊谷県を埼玉県と統合。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、横見郡の43ヶ村が東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村の4ヶ村になる。
1896年(明治29年)4月1日 - 府県制施行による埼玉県内の郡の再編により、横見郡が廃止、比企郡に統合される。
1954年(昭和29年)7月1日 - 東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村が合併し、吉見村となる。
1954年(昭和29年)11月 - 現在の町章となる村章を制定する。[1]
1972年(昭和47年)11月3日 - 町制施行により、吉見町となる。
平成の大合併における動き
いずれの合併に関しても成立には至らず、当面は単独での町政運営となる。
比企地区8市町村合併協議
2003年(平成15年)
3月3日 - 比企地区任意合併協議会設置(東松山市・比企郡滑川町・嵐山町・小川町・都幾川村・玉川村・吉見町・秩父郡東秩父村)
4月1日 - 協議会事務局設置(東松山市役所内)
5月21日 - 第4回協議会において比企地区任意合併協議会解散を決定
東松山市・吉見町合併協議
2003年(平成15年)
9月24日 - 『東松山市と吉見町の合併推進に関する決議』(市議会)
12月1日 - 東松山市・吉見町合併協議会(法定)設置・同日事務局設置(東松山市役所内)
2004年(平成16年)
9月14日 - 東松山市議会において「東松山市・吉見町合併協議会からの離脱に関する決議」を議決(全会一致)
9月15日 - 第13回協議会において、東松山市・吉見町合併協議会解散を決定
10月31日 - 合併協議会廃止