茨城県取手市
取手市(とりでし)は、茨城県南部に位置する市。東京都市圏#茨城県(東京通勤圏)。
概要
地域の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、利根川の水運とあいまって、古くは宿場町だった。また、1970年代から1980年代にかけて東京都心のベッドタウンとして開発され人口が増加。それ以降、いわゆる「茨城都民」と呼ばれる住民が多くなった。
1995年をピーク[1]として以降、都心回帰現象の影響や、子供が成長して家を離れるケース(当初より核家族が目立った井野や戸頭では、団塊世代前後の夫婦のみが暮らし、子供は進学・就職・結婚等で取手を離れて他地域を生活拠点とするケース)も多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で世帯数は増加しており、少数世帯化・少子高齢化及び校舎の老朽化が進み、2008年(平成20年)から市内の小・中学校の大幅な統合が実施された。
2005年に北相馬郡藤代町との合併によって人口10万人を突破するとともに、茨城県の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けており、現在取手駅周辺再開発・土地区画整理事業・宅地開発などが新たに行われている。市内では、現在URによる常総ニュータウン取手ゆめみ野の開発が進められている(ゆめみ野の詳細は常総ニュータウンの項目を参照)。また、東京芸術大学取手キャンパスが市内にあることから、「アートのまち取手」としてまちづくりを展開しており、その一環として1999年より市民と取手市、東京芸術大学の三者が共同で、取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)を行っている。
歴史
1871年(明治4年)- 廃藩置県により、常陸国に属した現・久賀地区が新治県、下総国の属した小貝川以南が印旛県に属する。
1873年(明治6年)- 小貝川以南が千葉県に属する。
1875年(明治8年)- 小貝川以南が茨城県に編入される。新治県は廃止され、久賀地区も茨城県となる。
1885年(明治18年)- 地積編成により、取手村と大鹿村が合併して取手村になる。
1889年(明治22年)- 市制町村制の施行により、取手村と台宿村が合併して北相馬郡取手町になる。
1947年(昭和22年)- 取手町が井野村を編入。
1955年(昭和30年)- 寺原村、稲戸井村、高井村(旧同地村は守谷町へ分割編入)、小文間村を編入。
1963年(昭和38年)3月1日 - 現在の市章となる町章を制定。[2]
1970年(昭和45年)10月1日 - 市制施行。
1972年(昭和47年) - 市の木、市の花を制定。
1975年(昭和50年) - 「取手市民憲章」を制定。
1981年(昭和56年)11月1日 - 新町名に、新町五丁目(旧大字取手の一部)、新取手一丁目〜五丁目(大字寺田・野々井の各一部)を設定[3]。
1985年(昭和60年)11月1日 - 新取手5丁目の区域(旧寺田の一部)を追加設定[4]。
1995年(平成7年)10月2日 - 新町名として、中原町(旧大字取手・井野の一部)、井野台3丁目〜5丁目(旧大字井野の一部)を設定[5]。
2001年(平成13年) - 市の鳥を制定。
2005年(平成17年)3月28日 - 北相馬郡藤代町を編入。
2005年(平成17年)10月1日 - 市の木・花・鳥を改訂(旧藤代町分も含めた形に変更)。