東京都世田谷区
概要
世田谷区(せたがやく)は、東京都の特別区の一つで、東京23区の南西部に位置する。東京都内最大の人口を有する特別区。
歴史
近世以前
縄文時代当時の貝塚が多数存在する。
古墳時代以降、何らかの旧王朝・豪族の存在を疑われつつも、宅地開発が優先され歴史研究はほとんど行われていない。野毛大塚古墳、稲荷塚古墳、第六天塚古墳、玉川台古墳群、浅間神社古墳、亀山古墳、等々力三号横穴、砧大塚古墳などが公園となっている。他に世田谷区役所・国士舘大学の地下や砧中学校周辺、公園、宅地、商業地の地下など、数多の遺跡がある。
古来より 武蔵国にあり、当区区域は武蔵国多磨郡、荏原郡に属していた。
近世
江戸時代末期に両郡内に42の村々が存在し、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。
近・現代
明治・大正時代も旧東京市15区に含まれない地域であった。昭和時代の世界恐慌後に荏原郡および北多摩郡から旧東京市に編入された。
1922年 世田谷警察署ができる。
1952年 世田谷区教育委員会ができる。
1963年 環状七号線が開通する。
1968年 区の鳥・花・木が決定される。
1995年 防災行政無線が整備される。
区の沿革
1871年 廃藩置県により現世田谷区の範囲の内、中部・東部の村々は東京府荏原郡に、西部の村々は神奈川県北多摩郡に属す。
北多摩郡については三多摩および多摩郡を参照
1889年 市町村制施行に伴い現世田谷区の範囲の内、荏原郡の村々は合併して世田ヶ谷村(後の世田ヶ谷町)・駒沢村(後の駒沢町)・松沢村・玉川村に、北多摩郡の村々は合併して砧村・千歳村になる。
1893年 三多摩(北多摩郡砧村・千歳村を含む)が神奈川県より東京府に編入される。
1932年 現世田谷区の範囲の内、荏原郡の町村は東京市に編入されて「東京市世田谷区」になる。発足当時の人口は、松澤村・世田谷町・駒澤町・玉川村133,249人を基準とする。
1936年 北多摩郡砧村・千歳村が東京市世田谷区に編入される。
1943年 東京都制により7月1日より東京都世田谷区。
1947年 特別区としての世田谷区が従前と同一の区域をもって誕生。新制中学校ができる。