茨城県つくばみらい市
つくばみらい市(つくばみらいし)は、茨城県南部に位置する市である。東京都市圏#茨城県(東京通勤圏)。小貝川以西は旧下総国・旧千葉県。郵便番号の上5桁は、伊奈地区が300-23、谷和原地区が300-24。
概要
市域の大部分が、江戸時代に関東郡代伊奈忠治によって開発された「谷原領3万石」と呼ばれた場所で、かつては純農村だった。1960年代以降伊奈地区より住宅開発が始まり、1980年代以降になると常磐自動車道の開通、常総ニュータウン絹の台等の造成が行われ、東京都区部のベッドタウンとしての側面も色濃く持つようになる。2005年(平成17年)の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業後はさらにその傾向が強まり、現在もみらい平駅周辺を中心に開発が行われている。
歴史
年表
1889年(明治22年)4月1日 市町村制度施行により現在の市域にあたる以下の村が発足。
筑波郡三島村・谷井田村・豊村・小張村・板橋村・久賀村・鹿島村・十和村・福岡村・北相馬郡長崎村・小絹村
1896年(明治29年)3月29日 北相馬郡長崎村が筑波郡に移行。
1913年(大正2年)11月1日 常総鉄道(現在の関東鉄道常総線) 取手~下館間開業。小絹駅設置。
1938年(昭和13年)4月17日 鹿島村・長崎村が合併し、谷原村が発足。
1954年(昭和29年)7月1日 三島村・谷井田村・豊村・小張村が合併し、伊奈村が発足。
1955年(昭和30年)2月21日 久賀村が伊奈村と北相馬郡藤代町に分割編入。
1955年(昭和30年)
3月1日 谷原村・十和村・福岡村が北相馬郡小絹村と合併し、筑波郡谷和原村が発足。
3月31日 谷和原村大字川又を水海道市(現:常総市)に編入。
1955年(昭和30年)6月10日 板橋村が伊奈村に編入。
1981年(昭和56年)4月27日 常磐自動車道柏IC~谷田部IC開通、谷和原IC設置。
1985年(昭和60年)4月1日 伊奈村が町制施行し伊奈町となる。
1989年(平成元年)7月30日 常総ニュータウン絹の台街開き。
2000年(平成12年)4月21日 町立(現在は市立)歴史公園 ワープステーション江戸オープン。
2005年(平成17年)8月24日 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業。みらい平駅設置。
2006年(平成18年)3月27日 筑波郡伊奈町と同郡谷和原村が合併・市制施行し、つくばみらい市が発足。
市名の由来
1954年(昭和29年)の伊奈村、1955年(昭和30年)の谷和原村成立以降、市内全域が筑波郡となっていたこと、つくばエクスプレスの駅名「みらい平」に由来している[2]。地名や方角に関係のない「みらい」もしくは「未来」という言葉を用いて称されたことは過去に例がなく、「みらい」という部分が入った稀な市名となっている[2]。しかしこれに先んじて神奈川県横浜市にみなとみらい駅があり、関連性がない土地から借用している可能性がある。茨城県では4番目に命名されたひらがな市名で、「つくばみらい」は、同じ県内のかすみがうら市、鹿児島県のいちき串木野市と並んで、日本一文字数の多い(6文字)市名である[2]。
いわゆる「平成の大合併」で成立した市は、「親しみやすい」「柔らかなイメージを持たせる」などを理由に、ひらがなの市名が増えた時期であるが、茨城県のなかでは市名決定に至るまで最も議論をよんだといわれている[2]。
市名は住民アンケートを基準として候補を選出し、合併協議会委員の投票によって決められた。ただし、住民アンケートで「つくばみらい」の名を書いた票は谷和原村分の36票のみ、一番投票の多かった市名の2割にもみたなかった。ちなみに2005年(平成17年)1月末に行われた伊奈町・谷和原村の住民アンケート結果は 1.みらい 2.つくばみらい 3.みらい平 4.南つくば 5.南筑波 だった。
2005年2月19日の市名決定の合併協議会当日、その席上で「みらい」「みらい平」「小貝」「南つくば」「筑波みらい」の五つの市名候補が発表された。なお、前日に谷和原村議会が臨時会を開催し、発表前の新市名候補「つくばみらい」を推すことを全会一致で決議した。このことを谷和原村側委員が合併協議会席上で発表して「つくばみらい」を強硬に主張したことから協議会は紛糾した。二度の休憩を挟んで最終的には二度目の休憩中、公開の場でない別室で飯島善伊奈町長・鈴木亮寛谷和原村長の間で「手打ち」のような形で市名が決定した。その話し合いは21分にもみたない非常に短い協議だったため、反対への署名まであった。市名候補を選出する小委員会の委員長が谷和原村議会議長を兼ねており、また、この際の紛糾の様子が合併協議会議事録から一部削除・改変されている。