厚木市

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神奈川県厚木市

厚木市(あつぎし)は、神奈川県のほぼ中央に位置する市である。特例市に指定されている。

概要

第4次首都圏基本計画(1986年決定)では首都圏の業務核都市に位置づけられ、2002年(平成14年)4月1日付けで特例市にも指定されている。

工業・住宅において、東京・横浜の衛星都市として知られる一方、多くの山間部や農業地帯を有している。大山方面登山への入口となっている他、市内には複数の温泉地が所在している。

比較的古い時期から発展した地域であるため、それに肖って組織、企業、施設等に厚木、アツギ、あつぎ、ATSUGI等を冠するものも多いが、そのいくつかは厚木市内に登記されておらず所在地もない[1]。

1980年代中期以降、ニューメディア都市構想の一環として市役所、鉄道駅構内、図書館等市内各公共施設にキャプテンシステム街頭端末の設置やそこから転じたインターネットを利用した公共サービスの電子化などの先進的試みをいくつか実施している地方公共団体でもある。

2010年には昼夜人口比率が114.9%となっている。これは、全国で16位の高さ、神奈川県内では1位となっている。

歴史

古代
神奈川県立厚木北高等学校建設予定地を含む荻野地区に縄文遺跡が発見されたことから、縄文集落の形跡が確認された。

中世
当市域から愛川町南東部にかけて毛利荘(もりのしょう)が置かれた。平安末期、毛利荘は源義家の息子義隆の所領となった。鎌倉時代初期には毛利景行の所領となっていたが、景行は和田合戦に参加して敗北し領地は鎌倉幕府に没収されたと考えられる。その後幕府の政所初代別当(長官)となった大江広元の所領となり、広元の四男・季光が毛利氏を名乗る。鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて毛利氏は本拠地を安芸国高田郡吉田庄(現在の広島県安芸高田市吉田町)に移し、戦国大名・近世大名に成長する。毛利氏の領国換後、毛利荘は安達盛長の所領となったと推定される(厚木市飯山清金剛寺に墓が残る)。霜月騒動後、得宗領となったと考えられる。

鎌倉に近く、14世紀には、梵鐘生産量で日本一であった。[要出典]

近世
江戸時代、当市域は幕府領(天領)・旗本支配地・藩領に細分された。時期が下るにつれて支配関係はより錯綜したものとなり、幕末の段階では市域内に存在した村のほとんどが複数の領主により支配される相給となっていた。

江戸時代後期、厚木村が下野烏山藩(大久保氏)の支配となり、相模国内の同藩飛地領を支配する陣屋が置かれる(厚木役所)。また、相模小田原藩(大久保氏)支藩の陣屋が中荻野村に置かれていた(荻野山中藩・大久保氏)。さらに幕末の段階で下総佐倉藩堀田氏、武蔵金沢藩(のち六浦藩)米倉氏、相模小田原藩が現市域内に領地を持っていた。

近代
1868年 徳川氏の駿府入封により荻野山中藩が支配していた駿河国内の領地の代替地として当市域内の旧幕府領・旗本支配地の多くが同藩領となる。

1867年(慶応3年)当時の支配は以下の通り(村名の後の○は他の領主との相給であることを示す)。

下野烏山藩: 厚木村、林村○、下川入村○、飯山村○、温水村(ぬるみず)○、岡田村(うち下岡田村、上岡田村)、上荻野村
下総佐倉藩: 長谷村○、船子村○、上落合村○
武蔵金沢藩: 下津古久村○
相模小田原藩: 小野村○、戸田村○、下津古久村○
相模荻野山中藩: 中荻野村、下荻野村、三田村、妻田村
幕府領・旗本支配地: ※林村○、※下川入村○、※及川村○、※棚沢村○、飯山村○、※上古沢村○、※下古沢村、七沢村○、小野村○、岡津古久村○、※温水村○、長谷村○、※愛名村○、※愛甲村○、※恩名村○、※船子村○、※戸室村○、※山際村○、※上依知村○、中依知村○、下依知村○、金田村、※関口村○、※猿ヶ島村○、戸田村○、長沼村○、酒井村○、上落合村○、岡田村○、下津古久村○ (※は1868年に荻野山中藩領となった村)
1868年 旧旗本支配地が神奈川県に属する。
1871年7月 廃藩置県により旧荻野山中藩領が荻野山中県となり、中荻野村の旧陣屋が同県の県庁とされる。また旧烏山藩領は烏山県、旧佐倉藩領は佐倉県、旧六浦藩領が六浦県となる。
1871年11月 荻野山中県、烏山県、佐倉県、六浦県および神奈川県から足柄県に統合される。
1876年4月 足柄県から神奈川県となる。
現代
1889年4月1日
厚木町制施行、愛甲郡役所が置かれる。依知村(山際村+中依知村+上依知村+下依知村+金田村+関口村+猿ヶ島村)・荻野村(上荻野村+中荻野村+下荻野村)・三田村・棚沢村・下川入村・妻田村・及川村・林村・小鮎村(飯山村+上古沢村+下古沢村)・玉川村(七沢村+小野村+岡津古久村)・南毛利村(温水村+長谷村+愛名村+愛甲村+恩名村+船子村+戸室村)が発足
1946年6月1日 - 三田村・棚沢村・下川入村・妻田村・及川村・林村が合併、睦合村に
1955年2月1日 - 厚木町・睦合村・小鮎村・玉川村・南毛利村の1町4村が合併して厚木市発足、相模大橋が開通。
1955年7月8日 - 依知村、中郡相川村を編入する。
1956年9月30日 - 荻野村を編入する。
1962年 人口50,000人突破。
1969年 東名厚木インターが開設。
1973年 人口100,000人突破。
1976年 本厚木駅の立体化工事が完成。
1978年 厚木市文化会館が開館。
1981年 人口150,000人突破、ダックシティ厚木(現:イオン厚木店)が開店。
1982年 本厚木ミロードが開店、青山学院大学厚木キャンパスが開設(2003年に閉鎖)。
1982年4月2日 - 防災行政無線運用開始。
1984年 中町地下道、厚木バスセンターが完成、厚木シティプラザ開設、昭和音楽大学が開学(2007年に新百合ヶ丘に移転)。
1985年 厚木シティプラザ内に厚木市子ども科学館(現:神奈川工科大学厚木市子ども科学館)、厚木市ヤングコミュニティセンターが開設。
1987年 七沢自然教室(現:七沢自然ふれあいセンター)が開設、愛甲石田駅の橋上駅舎が完成。
1990年 七沢森林公園が開園。
1991年 人口200,000人突破。
1992年 座架依橋が開通。
1994年 厚木パルコが開店(2008年に閉店、現「アミューあつぎ」)。
1996年 あゆみ橋が開通、国道412号バイパス(上荻野バイパス)が全通。あゆみ橋が開通する前は、通称「もぐり橋」があった[3]。
1997年 厚木中央公園が開園(地下には、厚木中央公園地下自動車駐車場と防災用備蓄タンク等が設置されている。)
2000年 ぼうさいの丘公園が開園。
2002年 特例市となる。
2002年4月3日 - 防災行政無線放送等変更。
2003年 厚木市立病院が開設(旧:神奈川県立厚木病院を、神奈川県から建物を譲渡された)。
2005年 市制施行50周年を記念し、本厚木駅北口広場にモニュメント時計「アユポ」設置。
2008年 第3回B-1グランプリで、厚木市の厚木シロコロ・ホルモンがグランプリの栄冠に輝く。
2010年 第5回B-1グランプリ開催(イトーヨーカドー駐車場、厚木野球場)。
2013年 圏央道圏央厚木インターが開設。

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